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2015年10月16日金曜日

肌の質感、生地の質感

若い肌には若い肌に、
大人の肌には大人の肌に似合う生地の質感というものがあります。
若い肌は新しく、
大人になるほどに、その新しさは失われていきます。
そして、その変化とともに、似合う生地の質感が変わってきます。

いつも出すたとえですが、
洗いざらしの白いシャツや、よれよれのTシャツは若い肌に似合います。
洗いざらしの白いシャツとよれよれのTシャツの特徴は、
生地の表面が洗濯によってラフになり、
光沢や滑らかさが失われている、ということです。

若い肌はそれ自体、輝き、すべすべしていますから、
皮膚の上にのる生地自体に輝きや光沢がなかったとしても、
問題ないのです。
かえって、肌自体の輝きが強調され、若さが際立ちます。

しかし、同じことを大人がやってはだめなのです。
皮膚の表面が、あたかもケント紙のように光沢があるときに似合っていたものも、
もはやケント紙などではなく、ざらざらな風合いのある皮膚になったときには、
雨風にさらされたような風合いの生地は似合いません。
それは似合わないだけではなく、
今度は皮膚の衰えを強調し、その人を疲れて、生気のないように見せます。

では、大人の肌には何が似合うのか。
いわゆる高価な生地というものがあります。
高級なカシミア、シルク、本革のスエード、凝った織りのツイード、
光沢があり滑らかなウールなどです。
それらは手にとってみるとうっとりと柔らかく、しなやかで、
英語で言うところのセンシュアル、つまり官能的な質感を持ちます。
その、官能は、まさに大人のためのものです。
20代の若い肌には、不似合いな、贅沢な素材は、
年齢を重ね、風雨にたえてきた、その肌にこそ似合います。

生地の質感というものは不思議なもので、
誰も言葉に出さなくても、
それだけではなく、よく見ることさえしなくても、
その場の雰囲気を変え、見えないエネルギーとなって、
他者へと伝播します。

オペラ座の、ヴェルヴェットの椅子に座るときの絹のドレスの感触、
冬の寒い朝、すれ違いざまに感じる、高価なカシミアのマフラーの風合い、
真夏の日差しの下、ぱりっとした真っ白なベルギーリネンのシャツが、
太陽の光を反射するときの、あのまぶしい光。

清潔なシーツの上の豪奢なレースのランジェリーやシルクのナイティ、
街灯の光にきらめくエナメルのブーツ。
高価なジュエリーが大人に似合うように、
丁寧に手をかけ作られた素材は、その人のまわりの空気を変えていきます。
それは触れなくてもわかるのです。
見えない何かがそれを伝えるのです。

年齢を重ねて、
何となく今までの服が似合わなくなったと感じるとき、
まずはその服の素材を点検してみることをお勧めします。
それは相変わらず20代の子が着るような素材ではないでしょうか。
大人の今の肌にふさわしい質感を持っているものでしょうか。
いくらサイズが合うからといって、ティーンエイジャーが着るようなものを、
そのまま着てはいないでしょうか。
チープな素材は、その人自身をチープに見せます。
似合わない質感は、 その人をいっそう老けて見せます。

例えば白シャツや白いTシャツのような、若いときにも着ていたアイテムでも、
素材のクオリティを上げれば、年齢を重ねた肌にも似合うものがあります。

私たちは、若いことをよしとする価値観の社会に生きています。
何かと言えば、若さで競争し、
若くないことが負けであるかのような、そんな印象を植え付けられます。
しかし、誰でも年をとります。
若さの競争に参加した者は、全員が負ける運命です。
「あの人は若くないから」と、年上の人を批難するその人に、
いつの日か、そのままその言葉が返ってきます。

その競争からおりるためにも、
生きてきた、その道筋を誇りに思うためにも、
若い人に似合うような素材をあえて選ぶことは、やめましょう。

その繊細で、手のかかった、豪奢なレースのドレスは、
痛みと傷で裏打ちされているのです。
そして、その痛みこそが、今の自分の輝きです。
それを隠す必要はありません。

その輝きは、すべての人を魅了します。
私はそれを知っています。
ええ、実証済みです!


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