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2013年12月9日月曜日

ひょう柄だけが特別なわけ

ここへきて、ひょう柄が流行し始めました。
それまでも多くのアニマル・プリントが提案されましたが、
結局、残ったのはひょう柄のようです。
靴、バッグ、帽子、コート、ドレスなど、ありとあらゆるものにひょう柄が使われています。
では、なぜとら柄でも、ゼブラ柄でも、ダルメシアン柄でもなく、
ひょう柄なのでしょうか。

ファッション史の中で、ひょう柄は特別な存在です。
なぜなら、それは1947年2月、クリスチャン・ディオールが初めてのコレクションを発表した際、
「ジャングル」と名付けられたスタイルの中で使用された柄だからです。
そのとき以来、ひょう柄はモードの最高峰であると、認定されました。

当たり前のことですが、西洋の洋服にはそれなりの歴史があります。
スタイルの変遷をたどって、現在へたどりついています。
それはどの国でも服装の歴史があるのと同じことです。
しかし、洋服を取り入れてから150年ばかり、
そして一般に広まるようになって100年足らずの日本では、その歴史は知られていません。
知らないということは、つまり、
洋服の歴史の文脈の中で意味づけされたものを知らないということです。

歴史を知らないということには、もちろんいい点もあります。
知らないがゆえに、それに縛られることがありません。
そのいい例が、歴史の文脈無視の突然変異として注目された、
80年代から90年代の日本のファッションです。
西洋の服装史にはない、直線的なカッティング、つまり、人体のとらえ方の違いは、大きな衝撃を与えました。
これは、歴史の文脈とは違うところからの発生であり、提案であったからこそ、なし得たことです。

一方、歴史の中には、その中で大切にされ、育てられてきた伝統があります。
長い年月をかけて作り上げられたそれは、人々の大きな記憶の中に、沈み込みながらも、ずっと存在し続けています。
それは、決して忘れることのできないものです。
そして忘れたころに、思い出したように浮上し、繰り返され、洗練していきます。
ひょう柄というのは、西洋のファッション史の中で、忘れ去られることのない、モードのシンボルなのです。

ひょう柄の流行は、クリスチャン・ディオールの復活に関連しています。
2012年、ラフ・シモンズがクリエイティブ・ディレクターに就任し、ディオールは、1947年にクリスチャン・ディオールが発表したニュー・ルックの
新しい解釈のもと、完全復活しました。

クリスチャン・ディオールがニュー・ルックを発表したのは、第二次世界大戦が終わって、1年半後のこと。
戦時中、女性たちは、好きな服装をすることができませんでした。
戦争になり、まず初めに禁止されるのは、華美な服装であり、
個人の表現としてのおしゃれです。
戦争のためおしゃれができず、うっ屈した毎日を過ごしていた女性たちにとって、
ディオールのニュー・ルックは、まさに革命でした。

ひょう柄は、その血を引いています。
モードであるとともに、女性であることの喜び、表現することの自由の象徴なのです。
ですから、ひょう柄のものを身につけるということは、その柄の色や形とは別の、
特別な意味を持ちます。
それはモードの革命を忘れていないということであり、
その体現者であるということです。
そのため、ひょう柄だけは、ほかの動物の柄とは違い、特別なのです。

戦争になったら、おしゃれなどできません。
奪われるのは喜びと自由。
与えられるのはユニフォームと膨大な禁止事項。
それは、現在の状況からは想像できないほどの苦痛です。

その状況を再び経験したいかどうか、
権利を放棄しなければ、私たちは選べます。
まだ選ぶ力を持っています。

ニュー・ルックで取り戻した喜びと自由を失いたくないのなら、
権利は行使しなければなりません。
放棄するのなら、それが得られなくてもあきらめなくてはなりません。
けれども、力を持っている限り、あきらめる必要はないのです。

そのどちらを選ぶかは、自由です。
もちろん、ひょう柄を選ぶか選ばないかも自由です。
それはその人の生き方ですから。