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2012年12月24日月曜日

ファッション・ヴィクティム

ファッション・ヴィクティムとは、ファッションの犠牲者、またはファッションのえじきという意味です。
ファッションの犠牲者は誰でしょうか。

先日、バングラディッシュのダッカで、縫製工場の火事があり、
そこで働いていた大勢の方がお亡くなりになりました。
工場には外から鍵がかけられていて、逃げることができなかったという話もあります。
彼らは、明らかにファッションの犠牲者です。

ファスト・ファッションの流行により、
安い労働力を求めて、工場は単価の安い地域へどんどん広がっていきました。
ファスト・ファッションが安くできている理由は、働く人の賃金の安さによります。

それはもちろん、世界的な経済格差によるものでもありますが、
それだけではありません。
その地域においても、より安く使われる労働力が縫製工場へ多く投げ込まれるのです。

では、それを買う私たちはどうでしょうか。
私たちもまた、同じように犠牲者ではないのかと、私は思います。
もしひどい労働環境で作られた服だということを知っていたのなら、
いくら安くたって、そんな服は誰も買わないと思うからです。
そして何より、そんな悲しい思いの上に作られた服を着たところで、
決して幸せにはなれません。

幸せにはしてくれない服が大量に出回って、
そして、大量に余っています。
服から幸福感や幸せ感を得られないので、
人々は、そんな服をすぐに捨てます。
作る人も、売る人も、着る人も、誰も幸せになりません。

服って、もっと楽しいものだったのに、
人々を幸せにするものだったのに、
いつのころからこんなことになってしまったのでしょうか。

まるで、作る人も、売る人も、着る人も、
すべての人が力を奪われてしまったかのようです。
奪われた力を取り返さないことには、みんなハッピーにはなりません。

力を奪い返すため、私たちに残された方法は、想像力を使うことです。
この服は誰がどんな状況で企画されたのか、作られたのか、売られたのか、
服を手にするたびに、想像してみるのです。
そして、少しでも疑問に思えたなら、
そこですぐには買わないで、少し考えてみてください。

幸い今の時代、インターネットという情報網から、
さまざまな情報を得ることができます。
そこには、華やかな雑誌や広告からはうかがいしれない、
隠された情報があります。
そして、それを調べれば、すべてではないにしても、ある程度、真実を知ることができるでしょう。

同時に、見えない情報を見抜く力も使いましょう。
何だか嫌な感じがする、
着てみたら、ふっと重い感じや冷たい感じがする、
そんなふうに、見えない情報は私たちに何かを教えてくれます。
それは決して気のせいなんかではなく、本当のことなのです。
袖を通してみて、うれしいと思えない服には、きっとそれなりの理由があるでしょう。

服を着ることは、喜びであるべきで、
服を着ることによって、力を奪われたりするべきではありません。
着ることによって元気になれる、
力が出る、
リラックスできる、
ハッピーになれる、
そんな服ばかりでワードローブがそろったら、
冒険に出かけることもできるでしょうし、
荒波にも耐えられそうです。

今まで、何だか自分の力が100パーセント出せていないとしたら、
その原因の一端は、あなたの来ている、その服にあるのかもしれません。
もしそうだとしたら、
ほんのちょっとの想像力を使って、
奪われた力を取り返しましょう。
まだ残されている、選択という力を使って、
本当の自分になりましょう。

あなたが着ている服にかかわったすべての人、
デザインした人、パターンを引いた人、生地を作った人、素材を作った人、
綿を育てた人、羊の毛をかった人、
ミシンで縫った人、梱包した人、運んだ人、
アイロンをかけた人、袋に入れた人、
お店に並べた人、レジを打った人、
すべての人が幸せにならなければ、
あなたは本当の意味で、幸せにはなれないのです。
なぜならすべての人々は、世界の中で違う役を演じている、
あなたの舞台の裏方であり、キャストであるからです。

観客の批判や評価ばかり気にせずに、
自分を支えてくれる仲間に目を向けましょう。
その人たちは、みんな幸せでしょうか。
もしみんなが十分に幸せだとしたら、
あなたもきっと100パーセント、幸せであることでしょう。
そうでないとしたら、
そうなるように、何らかの行動をおこしましょう。
服を着るということは日々の行いですから、
毎日何かしらできることがあるはずです。

クリスマスの夜に、ほんのちょっとだけ考えてみてください。
あなたが今着ているその服は、あなたを幸せにしてきただろうかと、
そして、それにかかわったすべての人を幸せにしただろうかと。