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2012年6月25日月曜日

貫頭衣リバイバル






洋服全体のシルエットが変わって、次の流れはドレープだなと踏んでいた私ですが、
なんとその前に貫頭衣がやってきました。
しかも、急速な勢いで広がっています。

貫頭衣というものは、服飾史で最初に出てくる衣服で、
文字どおり、四角い布の頭の部分だけくりぬき、脇を縫い合わせた、
ごくごく簡単な服です。
それこそ、弥生時代から着られていたような、原始的な衣装のことです。

その服の原型とも言える貫頭衣が、今ブレイクしています。

貫頭衣の布の分量が増え、洗練されたドレープを作るには、
技術と、美意識が必要となりますが、
あたかも歴史を再現するかのように、まずは貫頭衣がリバイバルしています。

この貫頭衣、たしかに最近の外国のコレクションの写真などを見ても、
出て きていないことはないですが、これほどの勢いは日本独特のものではないでしょうか。
(調べようがないので、断言はできませんが)

なぜこんなにも貫頭衣が日本でこれほどまで受けているのでしょう。
答えは簡単です。
私たち日本人は、結局のところ、平面を着用するのが好きだし、安心するからです。

貫頭衣から始まり、大陸から唐風様式が取り入れられ、着ものに発展していった
日本服飾史の流れは、明治維新をきっかけに洋装が取り入れられるまで、
ずっと平面から構成される衣服でした。
現代になり、いくら体格が向上し、変化していったとしても、
それでもやはり私たちの血には、この平面文化が流れているのです。
貫頭衣は、最新のファッションではなく、何万年も古代までさかのぼる、
「なつかしい」ファッションなのです。

流行が変わり、いつも新しいスタイルが提案されますが、
まったく誰も見たことのない、真新しいスタイルの衣服など、存在しません。
いつでもそれは、過去の焼き直し、繰り返しです。
なぜなら、人間の五体は、何万年も変化していないからです。
クリエーションというものは、神のみの行う行為で、
人間がやるのは、いつでもどんなときでも、既に知っているものの再現なのです。

それでも、誰も見たことのない新しいものを作ったなどと、デザイナーがのたまうとき、
たとえば袖が3本ついていたり、奇妙で不必要な人体とはかけ離れた立体物だったりするだけで、とどのつまり、それは服なんかではなく、撮影用の衣装か博物館行きのオブジェです。
生活している人にとって、そんなものに、それ以上の意味はありません。

さて、この貫頭衣、おしゃれに着こなす方法は次のとおりです。

貫頭衣は、うまく使えば体型カバーとなるわけですが、
失敗すると、逆に体型の強調になります。
スタイルのいい人、ボディをちゃんと鍛えている方たちには、
シンプルな無地の、ドレープのでやすい生地で作られたスタイルが最も似合うと思います。
では、そうでない人は?
体型カバー目的で着たい場合、無地は避けましょう。
そして、なるべく視線を惑わす大胆なプリントやブロックチェックなどを選びましょう。
そうすることによって、目くらまし効果で、体型は気にならなくなります。
また、そうした柄物を着る場合、ほかのボトムや上に羽織るものは目立たない無地にすること。
柄に目が釘付けになるように、ほかの部分はあたかも背景のように扱いましょう。
そうすれば、体型に目がいきません。
柄の色も、ヴィヴィッドなコントラストのはっきりしたものが向いています。
地の色と柄の色のはっきりしない、小花柄などは、この場合、向きません。

私たちは立体が不得意なのではなく、平面が得意な存在です。
今こそ、その能力を目覚めさせましょう。
洋服では使わないような柄を使うのです。
そして、そのヒントは、もちろん着ものにあります。
あの組み合わせのセンスが、これから大いに役立ちます。

自分以外のものにあこがれても、決してなれません。
いつもなれないだれかにあこがれた時代は、もう終わりにしましょう。
私たちは、パリジェンヌなんかではありません。

バラはバラに、ユリはユリに、椿は椿に。
私たちは、日本という大地に美しく咲き誇る花になればよいのです。

誰かにならなければならないという呪縛から解かれましょう。
私たちは、悪い魔女に魔法をかけられました。
呪いを解く呪文は簡単です。
「私は私が好き。私は日本が好き」
そう唱えるだけです。
そうすれば、あなたにかかった悪い魔法は解かれます。
眠っていた遺伝子が目を覚まします。
その後は、あなたの感性に従いましょう。
それが、あなたという花が美しく咲く、唯一の方法です。

☆写真は「 月井良子のかんたん、かわいいまっすぐソーイング」 高橋書店。
パターンは限りなく四角く、縫うところも少ないので、ソーイング初心者にはうってつけ。
気にいった生地を見つけたら、自分で作ってみるのもお勧めです。