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2011年12月26日月曜日

10年後も着ている服を探そう



先日、文化服装学院時代の友達を観察していて、気付いたことがありました。
なんだか、着ているセーターに見覚えがあります。
「あれ、そのセーターは?」
「これ?もう10年以上も前から着ているよ」
私は彼女とは学生時代からの友達なので、ずっと知っています。
そのセーターは確かに前も着ていたなとは思ったのですが、
不思議と、あれ、また同じセーター着てる、とは思わなかったのです。
10年も同じものを着ているのに、それが決していつも同じものには見えない、
そして、着ていたことすら忘れてしまう。
おしゃれな人というのは、必ずこんな一着を持っているものだと思います。

10年着続けることができる服を買うには、まず服に対する知識が必要です。
劣化する素材かどうか、単なる今の流行かどうか、シルエットの具合など、
そのときの単なる雰囲気や気分で、ただいいと思ったから、ただ欲したからだけで買ったものは、必ずしも長持ちするものとは限りません。
(前にも書きましたが、単なる欲望で手に入れたものは、飽きるのも早いです)
しかし、10年着続けることができる服を手に入れるには、服の知識だけでは足りないのです。
何より必要なのは、自分自身に対する深い理解です。

私たちは、自分自身をさほどよく理解していません。
小さい頃は親、次は先生、そして社会などなど、私たちは周囲の存在からいろいろなラベルを貼られます。
それは、必ずしも自分自身などではないのですが、社会の枠の中で生きていくには、一見、必要そうに思えるので、その貼られたラベルを受け入れます。
そうして私たちは、その貼られたラベルにふさわしい服を選んでいくのです。
(途中、それは制服という形で強制もされます)

だけど、ときどき思うのです。
なんだろう、この違和感は。着ていても、ちっともリラックスできない。
他人は喜ぶみたいだけど、自分自身は喜んでないみたい。
しかし、服はしょせん服。それを着ているからといって、病気になったり、死んだりはしません。何となく社会でうまくいってるなら、別にいいわと思って、そのまま進んでいきます。

ある日、突然、気が付きます。
どうしてこんなに服をたくさん持っているのに、着る服がないんだろう?
ちゃんと選んだはずなのに、みんなほめてくれたのに、どうして着たいって思わないんだろう?
どうして?

その答えは簡単です。
着る服がないのは、本当の自分にふさわしい服を選んでこなかったからです。
自分の皮膚の延長のような感覚、くつろげる感じ、そして何より自由な感じ、
これこそ本当に自分だ、と思える感じ、そんな感じの服を選んだならば、それはずっと持っていられるのです。それこそ10年長持ちします。
その人に最もふさわしいものは、10年たとうが、変わりません。

だからといって、それは必ずしも、やっぱりベイシックだね、というわけではありません。
ベイシックといったって、たかだか100年にも満たない歴史の中で築かれたもの。
それがすべてではありません。
必ずしも、自分というものは、ベイシックの型の中におさまるとは限らないのです。

おしゃれであることの第一歩は、自分をどれだけよく理解しているかにかかってきます。
毎日のコーディネイトは、流行、ベイシック、自分自身の組み合わせです。

さあ、来年は、そんな服を探してみましょう。
わからなくなるのは、自分自身のことがよくわからないからです。
お店で一着一着、試着しながら、私は何、私は何、と問いかけましょう。
頭の中で想像しているだけでは見つかりません。
口で言っているだけでも、見つかりません。
体を動かして探しましょう。
着てみるとわかることが、必ずあります。
流行とか、かわいいとか、もてるとか、そんな言葉につかまらないで。
こればっかりは、自分自身でやるしかないのです。
なぜならば、
本当の自分自身と出会えるのは、ほかでもない、あなた、ただ一人であるからです。

☆写真は10年前どころか、もう20年近くも前の私の唯一のロメオ・ジリ。まだ10年いけます。

2011年12月19日月曜日

トレンチコート



ちょっと時期的にどうかなと思ったのですが、そろそろバーゲンの季節ですし、
購入をお考えの方も多いのではないかと思い、今日はトレンチコートについてです。

すっかり定番のトレンチコートなのですが、実は結構難しいアイテムでもあります。
というのも、なかなか自分にぴったりのトレンチコートを見つけるのは難しいのです。
それには理由が2つあります。
1つは、定番と言われながらも、かなり流行に影響されるアイテムであること、
そしてもう一つは、バリエーションの豊かさ、です。

同じ定番でも、Pコートとは違って、トレンチコートのシルエットは、かなり流行があるなと思います。
ここ数年は、例えば子供用サイズのトレンチを着ることが流行ったりしているように、かなり小さめが人気です。けれども、90年代はそうではありませんでした。もっとずっとシルエットは大きかったのです。ですからそのときに買ったトレンチコートは今着ると何かおかしいのではないかと思います。丈も長く、全体の分量が多く、もしかしたら、肩パッドが入っているかもしれません。これでは今の流行とかけ離れすぎて、古いなという感じが否めません。

そしてもう1つの理由のバリエーションの豊かさですが、実は、これがなかなか似合うコートが見つからない原因の最大の理由ではないかと思います。
トレンチコートの特徴は、付属のパーツの多さです。
トレンチコートのトレンチとは、塹壕です。第一次世界大戦を暑かった戦争映画などを見ると、よく出てきますが、人が1人通れるくらいの壕を、雨が降る中、このコートを着て移動していきます。そのために考案されたコートです。
肩には肩章、背中にはベンチレーション、前肩当て布、ベルト、フラップポケット、袖口のストラップ、そして後ろのセンターベンツなど、付属がやたらと多いのです。
また通常、あわせはダブル、袖はラグラン袖ですが、最近は、シングルで、袖もセットインスリーブのものもあります。
そして、この細かいパーツそれぞれが、それぞれのブランドやメーカーによって、形や大きさが違うのです。大きい襟のところもあれば、小さいものもある、またウエストから下もフレアになっているものもあれば、タイトなものもあるなど、付属や細部のバリエーションが広がりすぎていて、一定のスタイルがありません。
また素材も通常は、綿ギャバジンですが、今ではもちろんウールのものもありますし、もっと裏なしの軽いポリエステルタフタや、取り外しのライナーがついたものなど、着る時期やシチュエーションも様々です。
ですから、定番と言えども、自分にぴったりのものを探すには、襟の大きさ、袖の細さ、丈、すその広がり方の具合、シングル前か、ダブル前か、肩章つきかなしか、素材はどうするかなど、考えなければならない点がたくさんあるのです。

これを決めるにはどうしたらいいか。
それは、残念ながら、数多く試着してみるほかありません。
数多くとはどれくらいかというと、最低でも10枚は着てみないとわからないでしょう。

また、もう一つ残念なのは、有名ブランドだからといって、だれにでも似合うわけでもないということです。
私が大学生のころ、友達がイギリスに旅行へ行った折に、バーバリーのトレンチコートを買ってきました。今も相当お高いので、当時はもっと高かったと思います。しかも学生ですから、かなり奮発した買い物でしょう。
しかし、彼女がそれを着ていても、何だか格好良くないのです。
1つは自分のサイズより大きめのものを買ってしまったこと(華奢な人だったので、ぴったりのレディースサイズがなかったのかもしれません)、そして、余りに新しすぎて、コートがごわごわして、体になじんでいなく、何だか借りてきたもののようだったからです。
ですから、トレンチコートを選ぶときには、ブランドに惑わされてはなりません。

また流行があるということも忘れないでください。
今一番新しい形は、一番早く腐ります。
トレンチコートは長く着るべきアイテムですから、すぐ鮮度がなくなって、だめになってしまうようなものはお勧めできません。

ブランドにも、流行にも惑わされないで、自分自身にぴったりのコートを、根気よく試着していって、見つけましょう。
試着する際は、下に着るものや靴にも注意してください。パンツなのか、スカートなのか、ヒールのある靴かない靴かによっても、似合ってくるものは違ってきます。

トレンチコートは、戦うためのコートです。
いわば、戦闘服です。
いい加減に選んだものを着ていたならば、敵にやられてしまいます。
で、だれと戦うかですって?
たぶん、それは、世間の目を気にして、自分のハートとは違う行動をしてしまいがちな、もう一人の自分でしょう。

☆写真は、「シャレード」の中のオードリー・ヘップバーンのトレンチコート。
かなりパーツが省略されています。また素材も軽そうです。
オードリーは「ティファニーで朝食を」のラストシーンも変形トレンチコート。そちらも、やはり肩章などはなし。パーツを少なくすることで、ミリタリー色が弱まります。

2011年12月12日月曜日

ピンク!



今は12月半ばなわけですが、この時期になると、街ゆく人たちの色合いが、男女関係なく、黒、濃紺、チャコールグレー、ダークブラウンといった暗い色ばかりで、なんだかさびしくなります。
それでもまだ、日本の冬の青空は、ラピスラズリとターコイズを混ぜて作った絵具のような色合いで、大変美しく救われますが、人々の身につける色は、もうちょっとなんとかならないものかと思います。

これは別に着ている側の問題ばかりではありません。
作る側のほうが、冬のコートは黒とグレーと濃紺があれば、それで事足りるよね、というあつかましい押し付けでコートを製作するものですから、どんなにこちらが真冬にきれいな色のコートが欲しいと思っても、なかなか売っていないのが現状です。
マーケティングとは、そういうものです。
人々のニーズを探るのではなくて、自分たちの都合を、あたかも買う側の要求のように、うまくコントロールするやり方です。
これを着ると格好いいよ、着ないと格好悪いよ、これが流行っているよ、着ないと遅れてるよと言われれば、何だかそうなのかなと思ってしまいます。
向こうに、お願い、着てと頼まれたわけではないですが、こういうふうに言われるならば、それは立派なコントロールです。

さて、そんな中、最近、めっきり大人の女性のピンク着用率が落ちてきているような気がします。
ピンクを着るのはせいぜい10代から、20代後半までで、それを過ぎると、がたっと着ている人が少ないようです。
そういえば、最近は小学生や、それ以下の子供でも、ダークな色合いが多いですものね。
衣服における、ピンクの割合が、特に秋冬は著しく下がります。
冬に、大人の女性が似合うピンクのセーターやカーディガンを探そうとしても、なかなか、これ、というピンクが売っていないからという理由も、1つあるでしょう。

それでも、私は大人の女性こそ、また昔とは違った気持ちで、ピンクを着ていただきたいなと思います。
ピンクが作り出す雰囲気は、やはり優しさです。
ピンクのバラは愛の象徴です。
この前も少しオーラのことについて書きましたが、ハートチャクラの色はピンクです。
ピンクを身につけることによって、ハートチャクラをサポートします。
そうすることによって、傷ついたハートは癒されますし、自分と他人に優しくなれます。
クリスタルだったら、ローズクリスタルがやはりピンクのオーラを持っていますし、
香りだったら、本物のバラから作られたものも、同様にピンクのオーラをしています。
(例えば、ローズウォーターが揮発するときにピンクのオーラが見えます。ただ、液体なので、持続性は余りありません。)

自分が自分に優しくなれないなら、ピンクの色のものを着ましょう。
それは、自分が自分にできるプレゼントです。

大人の女性にお勧めのピンクは、ペールピンクやグレイッシュピンクとグレーやカーキとの組み合わせです。
また、黒に合わせたいときは、ベビーピンクより、オペラピンクやショッキングピンクと言われる、ヴィヴィッドなピンクのほうが、より大人っぽく感じます。

大人の女性が自分の望むピンクの服を探すのは大変です。
なぜなら、作る側が、もういい年の大人なんだから、ピンクなんか着るのやめなよ、と無言の圧力で、ピンクのアイテムを作る気がないからです。
でも、そんな圧力に負けてはいけません。
自分で意図することが重要です。
誰かの許可など要りません。
自分で意図したことのみが、実現します。
ピンクを身につけるということは、自分を愛する1つの方法です。

☆写真はペールピンクにグレーとカーキ。この組み合わせはすごく大人っぽいと思います。

2011年12月5日月曜日

自分の「掟」を作る



久々に「おしゃれのルール」です。

最近、コレクション会場でのおしゃれスナップを見ていて、そうだ、これもおしゃれな人がやることだなと、気づいたことがあります。
それは、自分の「掟」を作る、ということです。

パリやミラノコレクションに集まるファッションエディターやスタイリストたちの装いをよく観察していると、ほとんどの人が、上から下までとあるブランドの最新シーズンものをひとそろえ着ているわけではないということに気付きます。
また、彼女たちは、裕福ですし、スタイルも抜群ですから、金銭的にとか、体型的に、何かしばりがあるわけでもありません。
だから、やろうと思えば、金にかまけて上から下までシャネルとか、できるわけですが、あえて、それを選びません。

例えば、エディターのカリーヌ・ロワトフェルドだったら、ひざ丈のタイトスカートにヒールの靴というスタイルを崩しませんし、「エル」のディレクターのケイト・ランファーだったら、いつもロックテイストのモノトーンルックです。
自分はこれが似合う、またはこれが好きというスタイルがあって、どんなものでも選べるとしても、それを自分の「掟」としているのです。そして、そのスタイルがおしゃれに見えます。

ここまでは誰にでもわかりやすいと思います。
自分がよく見えるもの、大好きなものを着るのは当たり前だから、それを選択する。これは誰でもやることです。

けれども、たぶん、彼女たちがおしゃれに見える理由は、これだけではないのです。

以前、作曲も作詞もするミュージシャンの方が、絶対これは使わないという言葉があると語っていたのを聞いたことがあります。その使わないと決めている言葉が、何かということまでは言っていなかったのですが、たぶん、こういうことではないかと思います。

例えば、「愛」という言葉を使わないと決めます。
「愛」という言葉を使わないと決めたからには、それに代わる「愛」の表現を作らなければなりません。それには努力がいりますし、またそれができるということは、それこそ才能があるということなのでしょう。
しかし、そうやってでき上がった歌詞は、ただ何回も「愛している」と叫び続けるより、ずっと多くの人の心に「愛」を届けることができます。それを感動と呼ぶのです。

ほかにも、日本には、俳句や短歌といった、文字数を限定して、その中で表現を完結させる詩があります。あれも同じことです。
だらだら長く言わない。あえて他を切り捨てる、そのことによって生まれる美が、私たちの心を動かします。

おしゃれに見える人たちも、それをやっています。
私の場合、絶対に着ないのは、ダブルブレストのテーラードジャケット(似合わないから)と、ボ―ダー(みんなが着ているのと、想起させるイメージが私とは違うから)です。
ですから、たとえそれが、
似合うとだれかに言われても、
流行っていても、
便利でも、
安くても、
誰かにもらっても、
それでも、着ないと決めたものは着ません。
何かを着ないと決めたことにより、しなければならない創意工夫、そんなことの積み重ねが、おしゃれに見える理由なのではないでしょうか。

もちろん、これは自分で決めた「掟」です。
ですから、自分の意志で変更可能です。
だれかと協議する必要はありません。
自分が身動きできないほどに、がちがちにする必要もありません。
しかし、この、やらないと決めた、その軸が、膨大な情報や、誘惑の中で、
流されそうになったり、見失いそうになったりしたとき、ずっとそこに立っている目印の旗のように、あなたを助けると思うのです。
それがあれば、あなたは溺れずにすみます。

何かを着ないと決めたことによって生まれた、その努力を人々は認めるでしょう。
そして、おしゃれだなと心動かされることしょう。
ぶれないことは、美しいのです。
そしてそれは、自分の意志で選択した人だけが得られる美しさです。

☆写真はカリーヌの最近出た本。買おうか考えている間に、アマゾンで売り切れてしまいました・・・。