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2014年10月27日月曜日

「ファッションで世界を変えられるか」という問い

2015年春夏のプレタポルテのコレクションで、
シャネルはストリートのセットを作成し、
フィナーレでプラカードを持ったモデルたちがデモ行進をするという演出を行いました。
それを受けて、
「ファッションで世界を変えられるか」という問いがあちこちから聞かれてきました。
さて、ファッションで世界は変えられるのでしょうか。

パリ・コレクションがファッション業界のトップであるとすれば、
底辺は木綿畑であり、羊牧であり、石油の掘削現場です。
その底辺からトップへいくまでの間に、
収穫する人、運ぶ人、生地を作る人、
デザインやパターンを作る人、
縫製する人、
検品する人、アイロンがけをする人、
荷造りする人、搬入する人、
売り場に並べる人、
そして服を売る人まで、
実にさまざまな種類の業種、そして人がかかわります。
ファッション産業は、時間軸で見ると、人間が衣服を作り始めたときからであり、
空間軸で見れば、それは世界規模の広がりです。
パリ・コレクションという一部の小さな狭い側面だけを見れば、
ファッションなどというものは、世界や歴史に対してとるに足らないものかもしれませんが、
裾野から頂上までを俯瞰して見るならば、
それは世界の隅々まで、そして過去から未来まで、
広範にわたり影響を与える存在です。

哲学用語で、「ホロン」という考え方があります。
部分は全体をあらわし、また全体もまたその部分と同じ構造であるという考え方です。
その考え方でいくと、
ファッション業界は世界の産業の部分であるとともに、
その構造は、まさに世界の産業そのものであると言えます。
そして、服を1枚買うごとに、
私たちは、この構造に参加することになります。
私たちが服を1枚買うという行為がファッション産業に与える影響は、
世界の産業に与える影響と同じものなのです。

ファッション産業は、「フェア」であることとは、ほど遠い産業です。
人権をないがしろにされる部分も多いです。
表に見えるきらびやかさ、美しさとは対照的に、
内部はあきれるほどに残酷で、腐っています。
1枚のTシャツを外から見ただけでは、
その来歴はわかりませんが、
木綿畑までたどってみれば、多くのものには、何らかの「フェア」でないことが存在します。
それは過剰な農薬かもしれませんし、児童労働かもしれません。

私たちは、服を1枚買うごとに、この構造に影響を与えます。
違う言い方をすれば、どんな服を買うかという選択する権利を持っています。

世界を変えることができるのは、この選択する権利を持っている私たちです。
私たちは選ぶことによって、世界を変えることができます。
つまり、「フェア」なものを選ぶならば、フェアな世界へ変える手助けをすることができます。

しかし、多くの人がここで、
「だけど」と言うでしょう。
「フェア」なものは高価で買えないと。
それは、確かにそのとおりでしょう。
なぜなら、私たちの多くもまた、ホロンの全体であるところの産業に組み込まれているからです。
私たちが買えないのは、
私たちが「フェア」な扱いを受けていないからです。
私たちの行為は、自分の尾を噛むウロボロスの蛇のように、
私たちにかえってきます。
「フェア」な扱いを受けていないから、「フェア」なものは買えない。
この悪循環から抜け出すためには、
「フェア」な行いによって、「フェア」な扱いを受ける方向へ乗り換えなければなりません。

過剰な農薬にむしばまれているのは、過去のあなたかもしれません。
劣悪な環境の縫製工場で事故に遭うのは、未来のあなたかもしれません。
それは、世界のどこか知らない地域の話でも、
自分たちに全く無関係な話でもありません。
それは、日本で言えば福島の縫製工場の状況でした。
そして現在のあなたが、「フェア」でない扱いを受けているのなら、
「フェア」な行為をしないことには、あなた自身も、
そして、世界も変えることができないのです。

「だけど」と言う前に、少し考えてみましょう。
いつもなら2枚買うTシャツを1枚にすれば、よりフェアなものが買えないか。
新しさだけを追求しなければ、より安価に、しかも高品質なものが買えないか。
リサイクルショップでなら、手に入る範囲で、熟練した職人が、フェアな対価で作った、
上等なツイードのジャケットが買えはしないか。
方法は、ほかにも幾らでもあるでしょう。

「ファッションで世界を変えられるか」という、その問いは、
問いの中に含まれる、世界に対するファッションという、
その前提が間違っています。
ファッション産業そのものが世界の産業の構造であり、
それは世界に含まれています。

ファッションが世界を変えるのではありません。
「フェア」なものを選ぶという行為がファッション産業を、
ひいては世界を変えます。
そして、最終的にはあなたを変えるでしょう。
その力を、私たちは持っています。

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2014年10月20日月曜日

コスチューム・ジュエリー

コスチューム・ジュエリーとは、本物の貴金属や宝石を使ったファイン・ジュエリーに対して、
本物ではない、
たとえばガラス、真鍮、スチール、プラスチック
などで構成されているアクセサリーについての総称です。
もとは、20世紀の初頭、本物のジュエリーの代理品として、
また、舞台や映画で身につける衣装のアクセサリーとして使われたところから始まりました。
コスチューム・ジュエリーで誰もが知っている存在なのはシャネル。
1920年代、シャネルはファイン・ジュエリーのデザインもしましたが、
同時に、偽物の真珠を使ったコスチューム・ジュエリーを発表し、
コスチューム・ジュエリーのモードでの地位を確立しました。
1920年代と言えば、1929年の世界大恐慌。
不況とコスチューム・ジュエリーは大いに関係があります。
つまり、本物に手が届かなくなったとき、
人々はfaux bijoux(偽物の宝石)を愛するようになるのです。

さて、洋服のシルエットが変わってくると、
それにふさわしいアクセサリーのボリュームも変わってきます。
しかもそれは単純に比例します。
タイトなシルエットの服には小さめの、
大きなシルエットの服には大き目のアクセサリーが、
全体のバランスをとるためにも使用されます。

2012年以降、洋服のシルエットは大き目な方向へ動きました。
それに伴って、アクセサリーも大きくなりました。
それまでのタイトな服の時代は、小さめでも偽物ではなく本物、
つまり貴金属や宝石のジュエリーをつけることができました。
ダイヤモンドや24金であったとしても、
小さいものであったら、多くの人が買えました。
しかし、ジュエリーにもボリュームを求められるようになると、
それをすべて本物でまかなうことは不可能です。
また、本物しか使えないとなると、デザイン的な制約も大きい。
ボリューム、そして自由なデザインの表現を追求できるのは、
偽物で作られているコスチューム・ジュエリーならではです。
そして、服のシルエットが大きくなったのと同時に、
にわかにコスチューム・ジュエリーは再び注目されるようになりました。

日本においては、洋服とはまた別のトレンドの中で、
長いことジュエリーについてキャンペーンが行われてきました。
初期は、真珠のジュエリー、
そして、それが行きわたったところで、
一粒ダイヤモンドのジュエリーです。

パールのネックレスを1本は持っているべきです、
どんなときでも使えます、
そして何よりおしゃれに見えますという、
お説教にも近いうたい文句に、
多くの女性は納得し、1本はパールのネックレスを保持するようになりました。
もちろんそれは日本が真珠の生産国であることも関係しています。
そうでなかったら、これほどまでに真珠のネックレスは広まらなかったでしょう。
しかし、それも多くの女性に行きわたったころ、
次のキャンペーンが出現します。
それが、「一粒ダイヤモンドのネックレスこそおしゃれ」キャンペーンです。
ダイヤモンドは宝石の女王、誰にとっても憧れの宝石、
それを自分のものにしようというキャンペーンは、
日本の円が強くなり、
以前よりダイヤモンドが手に入れやすくなった時期あたりから始まったと思います。
かくして、現在、一粒ダイヤモンドはかなり多くの女性が保持するにいたりました。

しかし、ここで思いだしていただきたいのは、
見慣れないものほどおしゃれに見えるという法則です。
多くの人に行きわたれば行きわたるほど、
見慣れれば見慣れるほど、それはもはやおしゃれには見えません。

パールのネックレスも一粒ダイヤモンドも、残念ながら、
今やそのような見慣れた存在になりました。
つまり、それをしているからといって、特別おしゃれには見えなくなったのです。

コスチューム・ジュエリーの特徴は、デザインのバラエティの豊富さです。
似たようなものがあるとしても、多くの人が全く同じものをするという状況にはなり得ません。
また、最近出現してきたコスチューム・ジュエリーは、
以前のものより進化していますから、デザインだけではなく、
使われる素材も、羽や布、リボン、クリスタルなど、より多岐にわたっています。
また、多くの有名、無名の作家がさまざまなものを発表し、
一点ものも多いです。
これをうまく利用すれば、自分にぴったりの好みの、
しかもほかの誰もが持っていないようなものを見つける、
そして手に入れることが可能です。
それはまさに「見慣れない」ものであり、よって、それはおしゃれに見えます。

デザインの点では多くのメリットがあるコスチューム・ジュエリーですが、
もちろん欠点もあります。
それは、あくまで偽物なため、最終的にはごみ、しかも燃えないごみになる可能性が高いということ、
そして、ものによっては非常にチープな質感であることです。

コスチューム・ジュエリーは、チープなファスト・ファッションから、
高価なハイブランドまで、どこでも売られています。
当たり前ですが、安いものはそれなりの質感です。
ただのガラスよりもスワロフスキーのほうが、
そして半貴石やクリスタルのほうが高価なのは当然です。
ある程度の大人であるならば、あまりにチープなものを選ぶべきではありません。
なぜなら、チープなものは、それを身につける人を安っぽく見せるからです。

また、どう考えても1年であきてしまうようなものをいくつも買いこむのも考えものです。
明らかにすぐ燃えないごみになるとわかっているものを買うのは、
21世紀の考え方ではありません。
最終的にはごみになってしまうとしても、
たくさんは持たないか、
分解してリフォームすることが可能なものか、
コットンパールや水牛の角のように燃えるごみになるもの、
もしくはシャネルのコスチューム・ジュエリーのように、
いらなくなったとしても、誰かが欲しがるものを選ぶのがよいでしょう。

コスチューム・ジュリーはいつも流行しているわけではありません。
また、本物のジュエリーは高くて買えないとしても、
コスチューム・ジュエリーなら買えるというものも出てくるでしょう。
何より、唯一無二の自分のために、
ユニークなコスチューム・ジュエリーを探すのは、
楽しい行為になることは、間違いありません。
購買可能な価格での一点ものも、コスチューム・ジュエリーならではです。

どんなものにも旬はあります。
コスチューム・ジュエリーはまさに旬のジュエリーです。
1つ足しただけで、それは今風になり、
自分らしさの表現もできます。

身につける人が本物ならば、
faux bijoux(偽物の宝石)さえ本物に見えてきます。
その逆に、偽物の人物が身につけるならば、
それは偽物のまま。
よって、コスチューム・ジュエリーはリトマス試験紙のような存在でもあります。
いかにも、コスチューム・ジュエリー(衣装宝飾)は、
世界という舞台で物語を演じる主人公に、
ふさわしいジュエリーではあると言えるでしょう。
本物か偽物かは、
そのパフォーマンス(演技)を見ればわかります。

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2014年10月13日月曜日

フォークロア

ファッションでは、フォークロアと呼ばれる民族調のスタイルが、
周期的に取り上げられます。
もちろんそれが流行る場合もあれば、流行らない場合もありますが、
ここ最近で大流行したのは70年代でした。
ヒッピー・ムーブメントと相まって、
より若く、そして自由な雰囲気を表現するために、フォークロアが流行りました。
70年代のフォークロアの特徴は、ボヘミアンと呼ばれたジプシーのスタイルが中心で、
主にチェコスロバキアなど、東欧の民族調スタイルを取り入れたが主流でした。
(わかりやすいイメージとしては、スティービー・ニックスのスタイル)

2014年現在、再びフォークロアが注目を浴びるようになりました。
しかし、それは70年代の主に東欧イメージのものとは少し違い、
もう少し範囲も意味も広く、地域性にこだわるよりも、
その手法、つまり「手仕事」としての側面に注目するものとなりました。
なぜなら、再びフォークロアが注目されるようになったのは、
これまで続いた、平坦で、変わり映えのしない、
退屈な大量生産の衣服に対する反動が原因だからです。

今回流行のフォークロアは、その手仕事が重要となります。
ですから、必ずどこかしら手で仕事をしたような痕跡、
それは刺繍であったり、アップリケであったり、
が加えられます。
繊細なレース編みや、複雑な模様編みのニットなども、
広義の意味ではフォークロアに入れてもよいでしょう。

また、今回の流行の特徴は、フォークロアとして取り上げる民族調の範囲が、
広く設定されていることです。
「手仕事」のあとが見られるものなら、それは地域を問いません。
東欧であっても、東洋であっても、
そしてたぶんこれから出てくるであろう南米やアフリカであっても、
機械ではなく、手を使って作られたあとがあるならば、
それはフォークロアなのです。

シルクシフォンのドレスに施された繊細な刺繍、
ウールのマントの上の動物や植物モチーフのアップリケ、
編んだひもでできたブレスレット、
羽や半貴石がついた、ロングネックレスなど、
このフォークロアの要素は、ありとあらゆるところに見られるようになりました。

日本に住む私たちにとって、
フォークロアは、大流行とはいかないまでも、
いつもどこかで何しら存在しているような、
身近な存在です。
中央線の中野から国分寺あたりまでの、
ヴィンテージ・ショップや、エスニック・スタイルのショップをのぞけば、
何かしら手に入りますし、それを今までも取り入れていた人たちは多いでしょう。

素朴な感じ、かわいらしい感じが、
特にナチュラル志向のファッションが好きな人たちに受け入れられてきた経緯があると思います。

ただ、今の流行は、それがあくまでモードの世界であらわれてきたもの。
素朴さや、ナチュラルそのままではなく、
もう少し洗練させて、より上等に、手の込んだもののほうがふさわしいです。
そんなフォークロア調の何か、
たとえばアクセサリーや、アップリケのついたバッグなど、
1つ全体のコーディネイトに付け加えるだけで、
そのほかのアイテムがいわゆるナチュラル・テイストではないとしても、
21世紀の新しいフォークロアを表現することができます。

民族調の地域は、どこでも構いません。
重要なのは手仕事です。
ですから、今回は自分たちが住む地域、
つまり日本を含むアジアのものを取り入れても、
それは構わないわけです。
アジア地域にも、さまざまな民族調の衣装があり、
それにはどこかしら、必ず手仕事のあとがあります。

手仕事は、均質化した、終わりのないほど退屈な機械化の、
対極のものとして注目されています。
手仕事の特徴は、均一ではない、ということです。
極度に発達した機械化は、人間の衣服を徹底的に均一なものに統一しようとします。
しかし、それを着せられる人間は、均一な存在では、全くありません。
一人一人違って、1つの価値基準では判断不能の、
ばらばらで、不揃いな存在です。
それなのに、すべてに同じものを着せるということなど、
無理なことなのです。
肌の色も、地域の文化や特色も、気候も、言語も、生活習慣も、
すべて無視して、ある1つの価値基準に統一しようとする流れに対する反動として、
今回のフォークロアが出てきたのであるならば、
その結果として、手仕事が全くばらばらであっても、全く問題はありません。
それどころか、手仕事が目指すものは、ほかには存在しない、
ユニークなものであるのです。
それはあたかも、私たち一人一人がユニークであるがごとく、です。

そんなユニークな手仕事と、どこでどんなふうに出会えるか、
それは人それぞれ違うでしょう。
それはスーパーマーケットの、均質なものが大量に並べられている棚からは、
選べないということだけは確かです。

誰とも同じではない自分が、
ユニークな手仕事の衣服やアクセサリーを身につける。
それが、21世紀のもっともファッショナブルなフォークロアです。


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2014年10月6日月曜日

おしゃれに見えるスタイリングは変わっていく

数学のように、どんなも問いに対しても答えが1つなら、
頭を悩ませることは、それほど多くはないでしょう。
しかし、芸術、音楽、文学のたぐいは、
答えが1つというわけにはいきません。
ファッションもまた、数学ではありませんから、
グレーに似合う色は?
何にでも合う靴はどんな靴か?
トレンチコートは1年じゅう着られるか?
などの問いに対して、答えは1つではないのです。
そして、その最たるものがスタイリングです。

たとえば、自分が子どものころのおしゃれな女の人の格好を思いだしてみてください。
あるいは、80年代のおしゃれに見えた雑誌のスタイルを思いだしてみてください。
残念ながら、そのスタイルをそのまま現在に持ってきたところで、
決しておしゃれには見えません。
80年代のスタイルを今そのまましたのなら、
それは単なる80年代のコスプレです。
ですから、スタイリングの教科書があったとしても、それはそのときだけ使えるものであり、
何年もたってから使おうと思っても、使えるものではありません。
シャツの裾ををパンツに入れるのか、入れないのかひとつとってみても、
どちらがよりおしゃれに見えるかは、
時代によって違うのです。

ファッションには流行というものがあり、
時代とともに、衣服のシルエットやデザインが変わるということは、
誰でもわかると思います。
しかし、変わっていくのはシルエットやデザインだけではありません。
スタイリングもまた、変化します。
しかもそれはいつでも進化しています。

「今後10年の流れ」で示したように、
基本的な西洋の女性用衣服の流れは、
男性服の取り入れと、より自由になるためのスポーツウエア、作業着、下着の格上げです。
それはスタイリングにおいても同様です。
時代ごとに流行るシルエットとデザインがあり、
その上により進化したスタイリングがのります。
タイトスカートにハイヒールを合わせるのがおしゃれに見えたのが、
時代が進むと、タイトスカートにスニーカーがおしゃれに見える、となります。
そうなったとき、以前のタイトスカートにハイヒールは一番おしゃれではなく、
タイトスカートにスニーカーと同位置になるか、
少し後退します。

その提案はほとんどの場合、スタイリストではなく、
デザイナーによって行われます。
テイラードジャケットのインナーにランジェリー、
スカートの下にパンツ、
ドレスにスニーカーなど、
そのオリジナルはストリート・ファッションであることもありますが、
認定を与えるのはデザイナーです。
ごく一般の人がやったら奇異に見られるだけの、
男性の着用するジャケットを女性が着ることをココ・シャネルが提案したならば、
それはそこからモードになります。
そしてその慣習は今でも続いています。
デザイナーによるお墨付きがされた、新しい着こなしは、
その後、安心とともに、多くの人に認められ、広がるのです。

「色」を除いては、
絶対にこうでなくてはいけないという、スタイリングの法則はありません。

チュニックの下にタイトなパンツをあわせるのがおしゃれに見えるときもあれば、
ワイドパンツをあわせたほうがおしゃれに見えるときもあります。
どちらがおしゃれに見えるかは、その「時代」により決まります。

そして、その時代感覚を取り入れないことには、おしゃれには見えません。
逆に、かたくなに時代感覚を無視するのならば、
その人はもうおしゃれな人ではないのです。
好奇心、柔軟性、行動力は、おしゃれな人にとって必須の要素です。
それは年齢の問題ではありません。
どんなに年をとっても、
そのときの新しい感覚を取り入れて、
スニーカーをはいてみたり、ダウンジャケットを着てみたりするならば、
その人はおしゃれになります。

おしゃれに見せたいならば、
「色」には厳格に、
スタイリングには柔軟になりましょう。
それは新しいものを買うか、買わないかの問題ではありません。
それは感覚の問題です。
どんなに古いものを着ていても、
新しい感覚を取り入れることは可能です。
ジャケットの下にはジーンズだったものをスウェットパンツに変える、
フレアスカートにスニーカーをあわせる、
そんなほんのちょっとしたことでも、その時代の空気を表現することはできます。

その時代の空気を知るためには、
常に好奇心を持って、
ファッションの情報に触れること。
電車に乗るときも、
街を歩くときも、
インターネットでサイトを見るときも、
いつでも、どんなところでも、
見ようとすれば、知ろうとすれば、
時代の空気を感じることができます。
あとはそれを取り入れる行動力があればいいだけのこと。

読んでいるだけ、
知っているだけ、
考えただけ、
お祈りしただけでは、現実は変わりません。
実際に行動に移さないことには、おしゃれは始まりません。
おしゃれと人生は、その意味において、似ています。
ドレスにスニーカーをあわせて歩き出したかどうか、
それが一番重要なのです。

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2014年9月29日月曜日

今後10年の流れ

2012年、海王星がうお座に入宮するころ、
これからは、ラファエル前派に見られるような、
フェミニティを強調した、はかなく強い女神スタイルがやってくると、
予想しました。
果たして、フリル、オーガンジー、シフォンの女神スタイルのたくさんのモデルたちが、
ランウエイを歩くことになりました。

海王星が宮をうつるごとにファッションの流れが変わるという説は、
リズ・グリーン女史によるものですが、
次に海王星が宮を移動するのが2025年。
ですから、あと10年ちょっと今の流れが続きます。

ラファエル前派と書いたのには理由があって、
そのころも今と同様に、海王星がうお座に位置していたからです。
ラファエル前派の画家の代表的なアーチストは、
ウィリアム・モリスとダンテ・ゲイブリエル・ロセッティなのですが、
彼ら2人が在籍したもう一つの運動があります。
それが、アーツ・アンド・クラフツ運動です。
19世紀、イギリスで起こった産業革命の結果、
大量生産の時代に入り、生活に安かろう、悪かろうの製品があふれたことに対して、
ウィリアム・モリスが生活にもっと手仕事と芸術を取り戻そうと提案し、
広がった運動です。
2015年のプラダの秋冬コレクションを見て、
私は、まさにこれは現代のアーツ・アンド・クラフツ運動だ、
と思いました。
いわば、大量生産の味気ない、効率だけを優先した衣装に対する反動です。

奇しくもというか、当然ながらというか、
私と同じことを考えた人がいました。
2015年のドリス・ヴァン・ノッテンの秋冬コレクションについて、
スージー・メンケスはBritish Vogueのレポートで、
「アーツ・アンド・クラフツ運動の21世紀バージョン」と評しています。

現代に比べれば、19世紀の大量生産など、
大したことはないと思いますが、
それでも当時の芸術家たちにしてみれば、
それはまさに脅威だったのでしょう。
美しさも、人間の手のぬくもりもない、
機能的なだけのうつろな工業製品が身の回りにふえていくその様に、
我慢ならなかったのだと思います。

21世紀の現在、街にあふれるほとんどのものは大量生産の工業製品です。
特に、一般の人が着る衣服においては、
ほとんどの人が大量生産で作られたものを選び、
そこに残された手仕事はほんの少しばかりとなりました。
ですから、これからはそのなくなった手仕事を取り戻す動きが生まれると予想されます。
それが、いわば21世紀バージョンのアーツ・アンド・クラフツ運動となるわけです。
アーツ・アンド・クラフツ運動なわけですから、
植物や動物がモチーフとして取り上げられるのは当然です。
ウィリアム・モリスがデザインしたテキスタイルを思いだしていただければよいでしょう。
あれの21世紀バージョンが数多く展開されていきます。

シルエットとしてはフェミニン、女神、
そして、細部はアーツ・アンド・クラフツ運動に見られたような、
手仕事、またはレースやブロケード、ジャカードのような豪奢な織物、
これが今後10年続く大きな流れの中心となるでしょう。

しかし、歴史は決して後戻りしません。
当然のことながら、19世紀と現在とでは、状況は全く違います。
そのもっとも違う点は、
女性の自由と権利の範囲です。
19世紀、女性には、
ズボンをはく自由さえありませんでした。
もちろん職業選択の自由も、
財産を持つ自由も、
婚姻の自由も、何もありませんでした。
それはその後、100年以上もかけて女性たちがすべて勝ち取ってきたものです。

ココ・シャネルに代表されるように、
近代から現代の女性の衣服の歴史は、
コルセットや長いスカートから自由になること、
そして男性が着るものを女性が取り入れる、ということにより発展してきました。
自由で、活動的であるために、
スポーツウエアや作業着、肌着など、どんなアイテムでも取り入れていく、
それが現在まで続く西洋のファッションの大きな流れです。

大きなフェミニティの中に、
勝ち取った自由ををより拡大させる、
そして、奪われた、手仕事による美しさを取り戻すこと、
これが大枠ではありますが、
最後にもう一つ大きなテーマがあります。

現在進行中のグローバリズムが目指すところは、
世界の均質化です。
同じ言語、同じ文化、同じ食べ物を世界中にばらまき、
多様性を抹殺し、すべてフラットで均質化することが、
グローバリズムの最終目標です。
そこでは、人は同じ形、同じ色の同じ服を着ることが望まれるでしょう。
既に私たちは、あと一歩のところでグローバリズムが目指す世界に入るところまできています。
片足を突っ込んでいると言っても、過言ではありません。
しかし、グローバリズムの夢見る世界が完成した暁には、ファッションなど必要ありません。
同じデザインの同じ服の大量生産だけが必要な世界は、
優れたデザイナーが最も忌み嫌うものであるはずです。
ウィリアム・モリスが産業革命で起きた同質の大量生産社会にアンチを唱えたように、
現在の優れたデザイナーたちも、世界の均質化、フラット化にアンチを唱え始めます。
その1つの例が民族衣装のデザインの取り込みです。
それはアジアでも、アフリカでも、中南米でも、
どこのデザインでもあり得ます。
世界各地のあらゆる西洋とは異質な文化に見られるデザインの取り込みは、
今後も続くでしょう。
それは世界の多用性の表現です。
多用性はファッションが手放してはいけないものです。
なぜなら、ファッションは個々の違いに奉仕すべき存在だからです。
ですから、デザイナーは今後も多用性を擁護し続けます。

これが今後10年は続くと思われる大きな流れです。
もちろんすべてのデザイナーが同じ方向を向くわけではありません。
中には、自分のスタイルだけにこだわり、
それだけを作り続けるデザイナーもいるでしょう。
しかし時代を読むことのできるデザイナーは、
必ずその時代の空気、気分をデザインに落とし込みます。
そして、長い期間、活躍できるデザイナーとは、そんなデザイナーなのです。

10年続く大きな流れがわかったならば、
私たちはそれにそってワードローブを構築していけばよいのです。
今の自分と、
10年後の未来の自分が見えたなら、
そのあいだにかけ橋を作るワードローブを少しずつ作っていくこと。
それが私たちのすべきことです。

今、ここだけの欲望をあおる勢力に負けずに、
理想の未来のヴィジョンをしっかり持ち、
それに向かって一枚ずつ買い足していくこと。
それは同時に未来の自分を作る行為です。

未来の自分が見えたなら、
次にどんなデザインの、どんなものを買えばいいか、
何を選べばいいか、
はっきりとわかるでしょう。
ドレスを1枚買うごとに、
靴を一足、新調するごとに、
理想の自分に近づきます。
ワードローブは過去ではなく、
未来を向いて構築しましょう。
過去へはもう戻りません。
何を着ても自由な世界を、後戻りはさせません。
10年後、理想の未来が到来するかしないかは、
私たちの選択にかかっています。

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2014年9月22日月曜日

リバイバル

2013年を過ぎたあたりから、
各年代のリバイバルが盛んになりました。
主に60年代、
70年代、
80年代、
90年代がリバイバルしています。

ファッションに限らず、芸術全般は、過去のスタイルを取り入れて発展していきます。
絵画におけるラファエル前派は、ラファエル以前の絵画のリバイバル、
ゴシック ・リバイバルは、ゴシック建築の復興運動です。
ともに19世紀に起きた運動ですが、
社会が行き詰ると、アーチストたちは、
過去のアーカイヴに目を向けるようになります。
つまりそれは、あたかも過去のほうが優れていたかのように見えるからです。

今がよければ、過去を振り返る必要はありません。
過去に何かを求めざるを得ない状況があるからこそ、
私たちは古さではなく、新しい発見をアーカイブに求めます。
そう考えると、21世紀に入ってまだ10年足らずではありますが、
ファッションは行き詰っています。
そして、この行き詰まりから脱出するまでは、
さまざまな年代のリバイバルが繰り返されることになるでしょう。

実際のところ、
リバイバルと言えども、
その年代そのままのスタイルの再現ではありません。
それは繰り返しではありますが、
同じ軌道をめぐっているのではなく、
未来に向かってらせん状に発展していきます。
ですから、70年代リバイバルだからといって、
70年代に着たそのものを、そのままのスタイルで再現すれば、
それが今風になるかといえば、そうではありません。

ではどうすればよいのか。
私たちが何を見て、これは70年代だ、80年代だと言うのかといえば、
それはシルエットとスタイリングです。
その他、色と素材もありますが、
主なものはシルエットとスタイリングになります。
繰り返されているのは、
70年代のシルエットであり、70年代風のスタイリングです。
ですから、リバイバルがあらわれて、
それを取り入れたいのだとしたら、
70年代の服をそのまま着るのではなく、
シルエット、またはスタイリングを取り入れればよいのです。

70年代だとしたら、
シャツの上にニットのベスト、ボックスプリーツのスカートにハイソックス、ローファーの学生風スタイル。
または、ヒッピー風のフリンジがついた革のジャケットにマキシ丈のドレスやスカート、
それらに底に厚みのあるブーツやサボの組み合わせ。
80年代だったら、
とにかく何もかもがビッグ・シルエット。
自分にぴったりのサイズのものよりワンサイズ上のものを選び、
シルエットを大きくした分、アクセサリーは大きく、靴はごつく、フラットに。
黒くごついメンズライクの靴に黒いソックスをあわせるのも80年代のスタイルです。
それらは新しいコレクションを見てもわかりますが、
古い映画のファッションを参考にすることもできます。
60年代だったら、「シェルブールの雨傘」や「おしゃれ泥棒」、
70年代だったら、「追憶」や「アニー・ホール」、
80年代だったら、「マドンナのスーザンを探して」や「プリティ・イン・ピンク」がお勧めです。

これらの雰囲気を出すためには、何もすべて新しくする必要はありません。
今まで持っていたものを新しく組み合わせ直してみるだけでも、
十分に雰囲気を出すことは可能です。
たとえば、タイトスカートにヒールのパンプスをあわせていたものを、
スニーカーとソックスに変えてみる、
スウェットシャツにロングスカートをあわせてみるなど、
それまではしなかった、しかしほかの年代ではしていた組み合わせをしてみるだけでも、
十分に雰囲気は出せます。

また、何か買い足すにしても、
たとえば、80年代風にしたいのだったら、
黒いソックスを買い足す、
スウェットシャツは大き目のものを選び、ビッグシルエットを作るなど、
今まで買っていたアイテムの色を変えたり、
サイズを大きくしたりすることで対応することができます。

注意すべきなのは、
70年代リバイバルだからといって、
70年代のものを古着で全部そろえたりしないようにすることです。
実際やってみればわかりますが、
そんなことをしてみても、今の気分にはなりません。
必ずどこかしら進化しなければ、それは今ではありません。

進化したのは何でしょうか。
進化したのは、素材であり、技術であり、洗練の度合いであり、そして何よりも自由度です。
60年代よりも70年代に、
70年代よりも80年代に、
80年代よりも90年代に大きく変わったもの、
それは女性の自由の範囲です。
70年代、ジーンズで大学に通うだけで非難されました。
しかし、今では高級ホテルにさえ、ジーンズでチェックインできます。
スニーカーは、大人のはくものではありませんでしたが、
今では、大人がこぞってスニーカーを選びます。
ファッションの中の不平等や差別の解消と、
女性の自由の拡大は相関関係にあるのです。
ですから、決して過去に戻ってはいけません。

デザイン・ソースとして、アーカイブを参照しつつ、
その自由は決して手放さない。
70年代の若者が、そのスタイルでは行けなかったところへ、
今の私たちは行くことができます。

ジーンズにダイヤモンドをあわせることも、
ドレスにスニーカーにあわせることも、
今の私たちには可能です。
それは大きな進化であり、進歩です。

過去の豊富なアーカイブを自由な心で再現する。
もはやここには禁止事項はありません。
なぜならそれは戦いによって勝ち取ってきたものだからです。
決してそのことは忘れないように。
今こうして自由でいられるのも、
タブーを覆し、非難する声にも負けなかった、
先駆者がいてくれたおかげなのです。


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2014年9月15日月曜日

流れを読むための定点観測のすすめ

私たちは日々、その日に食べるものを買います。
ほとんどの食べ物は買ってから、間もなく消費されます。
1年以上も、それを保持しているということはまれです。

日々ではありませんが、私たちは服を買います。
しかし、そのほとんどは、消費し終わるまでにある程度の月日を要します。
それは短いもので1シーズン、
長いものでは10年以上に及ぶものもあります。

食べ物も、衣服も、買うという同じ行為によって手に入れるわけですが、
これらを同じ視点で買うことは、適当ではありません。
かたや、1週間かそこらのためのも、
かたや、これから先、何年も続くであろうためのものです。

食べ物を買うときに、私たちは賞味期限をチェックします。
それは「いつまで食べることが適当か」ということの指標です。
けれども、残念なことに、衣服には賞味期限の記載がありません。
それが果たしていつまでもつのか、
買う時点では、ほとんどの人にはわかりません。
わからないことですが、失敗のない買い物をするためには、
これをある程度、把握することは必要です。
買ったはいいけれども、
賞味期限がすぐ訪れるものなど、
手に入れないほうがいいからです。
ファッションの流れを読み、
今まさに買おうとしているものが、
この先、どの程度、着られるものなのかと推測するためにも、
定点観測をおすすめします。

少なくとも、今、このブログを読む環境にある人は、
インターネットに接続可能であると思います。
(誰かがコピーしたものを違う媒体で読むのでなければ)
そうであるならば、同じように世界中のあらゆるファッションに関連する情報に、
アクセスすることも可能です。
ファッションのプロでもない限り、
すべての情報をチェックする必要はありません。
ですから、定点観測です。
たとえば、自分が好きなブランドのコレクションの情報を、
それは買わないかもしれないけれども、
チェックし続けるのです。
春夏、秋冬、クルーズ、プレシーズンと、
少なくとも年4回、新しいコレクションの情報が、
インターネット上で公開されます。
それはブランドのHPにもありますし、
雑誌のコレクションをまとめたページにもあります。

それによってわかることがあります。
それがファッションの流れです。
流行という言葉で示されるように、
ファッションはある方向に向かって流れていきます。
そして優れたデザイナーは、
必ずその流れを把握しています。
彼らは、いつでもほんの少し先の未来予測を、
コレクションを通じて教えてくれます。
何年も続けて、定点観測し続ければ、
誰にでもこの流れの方向がわかるようになります。

ファッションの流れがわかると、
おのずと、売られている服の賞味期限についてわかってくるようになります。
シルエットの流行の変化が見えるようになり、
終わるものと始まるもの、続くものの区別がつきます。
そのとき私たちは、
1枚のジャケットに、
その色や素材や値段など、見えるもの以上のものを見るようになるのです。
つまり、その服が持っているデザインの立ち位置です。
その位置が遅れたものなのか、
今のものなのか、
一歩進んだものなのか、
それが見えてきます。
それがわかれば、その服がいつまでもつものなのか、大体の予想がつき、
それを考慮して買い物することができます。
1シーズンで消費し切るものは賞味期限の短いものを買ってもよいし、
10年着たいというものは、賞味期限ができるだけ長いものを選ぶことが可能になります。
賞味期限が短いものとは、今だけの気分のものであり、
賞味期限が長いものとは、これから続く流れを見越したシルエットのものです。
たとえば、2000年だったら、タイトなシルエットのコートがその後、10年続く流れでしたが、
2014年になって、完全に流れが変わってしまった後は、
コートの流れはビッグシルエットへ向かっています。
つまり、ビッグシルエットのほうが、賞味期限の長いコートになります。

また、この定点観測で流れがわかれば、
次のシーズンにくるであろう、新しいスタイリングの形がわかります。
「新しさ」とは、何も新しい「モノ」だけのことではありません。
バランス、組み合わせ、着こなし方法など、
今まで既に存在していたものの新しい組み合わせ方や、
新しいバランスのとり方などのスタイリングもまた「新しさ」です。
流れがわかるようになると、
次に新しく見えるスタイリングの形は何なのかがわかるようになります。
それがわかれば、
今持っているアイテムの組み合わせを変えるだけで、
あるいは何か1つを付け足すだけで、
新しく見えるスタイリングがわかるようになります。
その新しいスタイリングの気分を、
いちはやく取り入れることも、おしゃれに見せるための重要な要素です。
それは多くの人が取り入れる前に取り入れたほうがよりよいのです。
見飽きるほどに街にあふれるころに取り入れたのでは遅すぎです。
たとえばタイトスカートには今、ハイヒールをあわせるべきなのか、
スニーカーをあわせるべきなのかは流れを見ればわかります。
流れが向かう組み合わせを選べば、
そのスカートが、たとえ5年前のものであっても、
新しく、おしゃれに見えます。

これら定点観測には、ニ、三のブランドを見るだけで十分です。
たくさん見る必要はありません。
それでも定期的にチェックするだけで、
確実にわかるようになります。

20年前のように、
コレクション情報が一部の人のものである時代は終わりました。
私たちがインターネット上でアクセスできる情報は、
環境さえ整えば、特別なものではなくなり、
誰でも平等に見られるものになりました。
そこにはプロと素人の差はありません。
私たちが今、接することができる情報は、
限りなくオリジナルに近いものなのです。
私たちが学べるのは、オリジナルからだけです。
二次情報ではなく、オリジナルに接することで、
多くを学ぶことができます。

流れを読む、
その上で買い物をする、
スタイリングを考える。
私たち一人一人、
それができるようになれば、
誰かにおだてられて余計なものを買うことも、
流行っているらしいからと、街にあふれるものを買うこともなくなります。
自分が自分専属スタイリストになるためにも、
流れを読みましょう。
特別な才能はいりません。
ほんの少しの労力と、
そうなりたいという気持ちだけで、
それは誰にでも可能です。

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