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2016年7月4日月曜日

それでもボーダーを着たいあなたへ――おしゃれとは、芸


数年おきにボーダーが流行します。
私が覚えているところでは、80年代のアニエス・ベーのボーダーシャツ。
渋谷系のミュージシャンであるフリッパーズ・ギターの2人が、
ボーダーシャツにジーンズ、グッチのローファーというルックスで、
当時のおしゃれな若者のシンボル的な存在でした。

さて、このボーダーシャツ、いろいろな要素を含んでいます。
まず、デザインが単純で素材がカットソーのため、安価に大量に出回ること、
幅広い年齢の男女が着用すること、
長袖、半袖、また素材をニットに変えた場合、1年じゅう着用可能であること、などなど。
要するに、いとも簡単に「ありふれた」アイテムになってしまうということです。

では、このボーダーシャツ、おしゃれなのでしょうか、おしゃれではないのでしょうか。

ボーダー・シャツでまず思いだすのは、手足の長いシャルロット・ゲーンズブールの映画「なまいきシャルロット」での姿。
そして、ピエール・エ・ジル撮影のボーダーシャツ姿のジャン・ポール・ゴルチエ。
ボーダーシャツで猫を抱いているピカソの写真。
日本では、そろそろ70歳という栗原はるみさんが一生ボーダーシャツ宣言をしています。

ここに挙げた方々のボーダーシャツ姿がおしゃれかどうか問われたら、
それはそれはおしゃれで素敵です。

彼らの共通点は何でしょうか?
それは、日本語では唯一無二、英語ではユニークである、ということです。
安価に大量に出回るアイテムの場合、必然的に着用する人数もふえます。
そうすると、比べられるのはその着る人自身。
それは、容姿の場合もありますが、
それだけではなく、その人自身の場合もあります。
その点で、彼らがどんなにボーダーシャツを着たところで、
ほかの人とは「かぶらない」のです。
なぜなら、シャルロットはシャルロットだから、
ゴルチエはゴルチエだから、
ピカソはピカソだから、
はるみははるみだから。

例えば、おしゃれなパリジェンヌが持っているアイテムとして、
バイカージャケット、スキニージーンズ、そしてボーダーシャツが挙げられます。
パリジェンヌは、それを着るだけでおしゃれです。
それはなぜでしょうか。
なぜなら、それはパリジェンヌがパリの街角、またはアパルトマン、カフェというシーンで、
ボーダーシャツを着用するからです。
「パリジェンヌ」は、全世界の女性人口のほんの一部です。
それだけで、十分にもうユニークなのです。

このように、ボーダーシャツは、その人自身が誰もが認める唯一無二の存在であるとき、
そのおしゃれの潜在的能力を発揮します。
彼らは、その誰もが着るであろう平凡なボーダーシャツを着ることによって、
逆に輝く存在になるのです。

では、「誰もが認める唯一無二の存在」ではないとき、
ボーダーシャツはおしゃれなのでしょうか。
その答えは、おしゃれに見える場合もあれば、おしゃれに見えない場合もある、です。

よく観察すれば、
シーズンごとにデザインナーたちがボーダーシャツ、またはボーダー柄のおしゃれな提案をしていることがわかります。
グッチの前デザイナーのフリーダ・ジャンニーニは、ボーダーニットに「ビジュー」と呼ばれる、
クリスタルのボタン飾りを数個つけることで、ボーダーを刷新しました。
リビアナ・コンティのボーダーシャツは、ボーダーを途中で斜めに切り替えることによって、
視線をずらし、平凡から脱しました。
ゴルチエは、青白や、赤白ではなく、黄色と黒のボーダーを提案、
シャツではなく、タイツをしましまにしました。
ヴァレンティノは、ボーダーの幅を太くし、上半身はボーダー、スカートはストライプにして組み合わせることによって、カジュアルなイメージのボーダーをシックなドレスへと昇華させました。

このように、デザイナーたちは平凡で、ありふれたボーダーのイメージを工夫を加えることによって、アップデイトし、提案しているのです。

普通の人がただそのまま着たのではつまらないボーダーを、
そのまま出したのでは、芸がないのです。

芸がないものは、おしゃれとみなされません。

「誰もが認める唯一無二」がない私たちが、ボーダーをおしゃれに着たいのならば、
どこかに「芸」を足さなければなりません。
それは装飾の場合や、色の組み合わせの場合もあるでしょう。
あるいはタイツやスカーフといった小物で工夫する場合もあります。

では、その芸は具体的に何なのか、
これを読んでいる皆さんは、その答えをすぐに知りたがるかもしれませんが、
その答えは、皆さんご自身しか知りません。
なぜなら、皆さんは、誰もが知っているわけではないかもしれないけれども、
もうそれだけで十分に唯一無二だからです。
その唯一無二を作りだしているのは何なのか、
何を持って唯一無二なのかを知るのは、自分自身のみです。

自分自身の唯一無二を探してください。
それをボーダーのおしゃれに付け足してください。
それが芸の域に達したならば、
ボーダーを着ておしゃれに見えることは可能でしょう。
おしゃれとは、芸です。

☆シャルロットはシャルロットだからボーダーを着ておしゃれなのです。
「なまいきシャルロット」、何回見ても好きな映画です。


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★ こちらのブログ及びメールにて個人的なファッションのご相談、ご質問は受け付けておりません。





2016年6月22日水曜日

ファッション・レッスンの選挙割やります!

6月23日より、7月10日の参議院選挙の期日前投票が始まります。
ということで、私も選挙割をやりたいと思います!

対象セッション:ファッション・レッスンの1と2の同時2レッスン受講
( 内容は「ファッション・レッスン」へ)
セッション料金:通常2レッスンで1万6000円のところ、1万3000円といたします。
対象者:2016年7月10日参議院選挙の「投票済証」を御持参の方。(投票の際、もらってください)

期間:2016年7月と8月の予約日
予約開始日:2016年6月23日、投票済証をもらってからご予約お願いいたします。

私のセッション料金の基本的考え方は10分1000円です。
ファッション・レッスンは、時間にしたら、設定料金以上ですが、
今まで据え置き価格でご提供してまいりました。
今後、値上げすることはあっても、値下げすることはありません。
7月、8月の夏休み期間、ぜひこの機会にファッション・レッスンを受講してくださいませ。

7月、8月とも、月曜日定休日の通常営業です。 
 ☆予約可能日、各種セッションのお知らせはこちらです。

皆様のお越しをお待ちしております。

2016年4月19日火曜日

ラグジュアリー・スポーツウエア

スポーツウエアがファッションに取り入れられるようになって久しいですが、
ここへきて「ラグジュアリー・スポーツウエア」と呼ばれるカテゴリーがあらわれました。
「ラグジュアリー・スポーツウエア」とは何か。
言うならば、高級な素材を使った、主にハイブランドにより発表されたスポーツウエア、
つまり、本物のスポーツマン、スポーツウーマンのためのものではなく、
あくまでスポーツウエアのスタイル、デザイン、細部を取り入れた、
日常着としてのスポーツウエアのことです。

スポーツウエアのスタイルとは何か。
まず最初にジャージで作られていること、
そして袖口や襟に使われたニット素材、
パンツの脇や、袖山線のストライプ、
足元のスリットのファスナー、
ポロカラー、
ファスナーによる前あきなどの細部が取り入れられたものです。

ファッション全体のカジュアル化の流れの一環として出てきた、
この「ラグジュアリー・スポーツウエア」ですが、
取り入れ方は、いつものカジュアルをおしゃれ着として取り入れる方法と同じです。

よりおしゃれに見せるためには、素材が高級なものを選ぶこと、
または、そのほかのあわせるアイテムはスポーツ・ウエアとは程遠い、
例えばテイラードジャケットと、かっちりしたレースアップシューズ、
もしくはシルクやレースのランジェリースタイルのドレスときゃしゃなサンダルやハイヒールなどを、
あえてあわせるという方法です。

実際のところ、必ずしもスポーツウエアそのものがラグジュアリーである必要はありません。
スポーツ・ブランドが出しているデザイナーズのウエアでもちろん可。
アディダス、プーマ、ナイキなどのスポーツウエアのショップには、
スポーツには不向きと思えるおしゃれなウエアが売られています。
これなら、誰にでも手の届く値段で調達することができます。

唯一つ、注意点はあります。
スポーツウエアは、ほとんどがジャージと呼ばれるニット素材です。
ニット素材ですから、確かに楽ですし、リラックスできます。
しかし、逆に言うと、それだけ身体のラインが強調されますから、
身体のラインに自信がない人は取り入れ方に工夫が必要です。
全身をジャージやカットソーでかためるのを避け、
かっちりた布帛のジャケットなど、かたいものを必ずあわせてください。
間違っても、上下ジャージや、上下スウエットでは外出しないこと。
部活帰りの中学生ではないのですから、
同じことをしてはいけません。

ファッションとは、いつもこうなのです。
いつでも新しい何かを探しています。
それが今回はたまたまスポーツウエア、特に日本で「ジャージ」と呼ばれている、
あの白いストライプのセットアップなのです。
そしてそれを著名なデザイナーが、パリコレのランウェイで発表すれば、
今まで「ダサい」と呼ばれていたものが、次の日からは「おしゃれ」へと変化します。

ただしこれを「ダサい」と見るか、「おしゃれ」と見るかは、
その人の視点がどこにあるかによって変わってきます。
都会に住む、ファッションに詳しい人が見たら、それは「おしゃれ」であるでしょうが、
田舎に住む、ファッションとは無縁に生きている人から見たら、
それは相変わらず「ダサい」スタイルです。

提案されたスタイルが、すべての人の眼に「おしゃれ」に見えるようになるまでには、
それ相当の時間がかかります。
まず一部の人が認識し、それは「ファッション」になり、
次に多くの人が着始めて、それは「流行」になり、
すべての人に行きわたったときに、それは「流行遅れ」となります。
この上流から下流までの流れは、通常3年から4年かかります。
そしてそれをどこで誰が見るかによって、
それが「おしゃれ」かどうかは違ってくるのです。

「ラグジュアリー・スポーツウエア」を今の時点で取り入れているのは、
ごくごく少数派のおしゃれに敏感な人たちだけです。
それがすべての人に行きわたるのは、ざっと4年後。
どの時点で取り入れるかは、
その人の住んでいる地域、
ライフスタイル、
そして何よりも、人生のスタイルによって変わってくるでしょう。

流行とは、その字が示すとおり、まさに時間の流れです。
その流れのどこに立つか、いつを選ぶかは、
それぞれの選択に任されています。


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2016年2月19日金曜日

エイジレスなのか、そうでないのか

「エイジレス」、つまり、年齢など関係ないという考え方は、
ある意味において正解であり、ある意味においては正解ではありません。

例えば、年齢を理由に何かに挑戦しなくなるのなら、
そのときは、年齢は考慮すべきものではありません。
しかし、経験や肉体という意味においては、
年齢を無視することができません。

「エイジレス」を意識したり、うたったりするのは、
概ね、年齢が上の人々です。
20代のときは、誰もが自分の年齢など気にして生きてはいないものです。
なぜなら、彼らは若さが永遠に続くかのように錯覚して生きているから。

その若さを失いかけたとき、
人は「エイジレス」ということを考え始めます。
皮肉なことに、年齢を意識したからこそ、
年齢など関係ないと思い始めるのです。

ファッションにおいても「エイジレス」を叫ぶのは、若い人たちではありません。
若い人は、年が上の人と同じスタイルをしたがりませんが、
「エイジレス」を意識している人たちは、若い人と同じ服を選択したります。
それは意図的に、あるいは無意識に。

若い人から年配の人まで、幅広い年代を想定して作られた服は、
しょせん、どの年代にも似合いません。
結果的にそれを選ぶのは、年配の人のみ。
若い人が、わざわざ老けて見えるその服を、選ぶことなどしないのです。

その人にとって年齢とは何なのか。
生きてきた事実は隠せません。
その経験は、消し去りたいものなのか、誇れるものなのか。
それによって、年齢をどう解釈するかも変わってくるでしょう。

誇れるような経験を、
誰にも奪われないキャリアを、
ダイヤモンドのように磨かれた肉体と精神を持っていて、
それを得るために年月をかけたと認識するならば、
年齢は、誇れるものでしょう。
その人は、それらかけた年月にふさわしいスタイルを選ぶはずです。
それは鉱山から削りだされたばかりのダイヤモンドの岩石に似合うものではありません。
ふさわしいのは、人の手が多くかけられた、ラグジュアリーな素材や仕立て、
そして本物のジュエリーです。
それらは磨かれた知性と品性をより一層輝かせ、
年齢を超えた美しさを与えてくれます。

一方、ただぼんやりと、日がな一日、世の中のよしなしごとを眺めるがごとく、
年月を費やしてきた人ならば、
その人は、あるいはまだ原石のままか、
または逆に薄汚れてしまった石のようで、
それほどの重厚な、仕立てや知的にデザインされた服など、
あえて着る必要はないのかもしれません。

年齢とは、つまり、その人の問題なのです。
あの人の40歳と、私の40歳は、全く意味が違うのです。
誰かの40歳と私の40歳を比べることはできません。
努力して積み重ねてきたものがある40年と、
ぼんやりと過ごしてきた40年が同じであるはずがありません。

若い人は敬意をもって、
自分というダイヤモンドを自力で磨きあげた人たちを見つめるでしょう。
そういった彼女らは、憧れの対象です。
その傷や痛みは勲章です。
それなしでは、今の輝きは得られなかったのですから。

そんな彼女らにとって年齢は、誇るべきものです。
「エイジレス」など、とんでもないのです。
自分がかけてきた年月を無視することなどできません。
だから、そんな彼女らが若い人と同じ格好など、する必要はありません。
それはもはやふさわしくないのです。
その輝きを満足させるものではないのです。

私たちは、相変わらず、若さが礼賛される社会で生活しています。
しかし、あるとき気づくでしょう。
そんな若さなど、欲しいものでも、憧れるものでもないということに。

私たちが本当に憧れるのは、
年齢を重ねてもなお美しい人、知性があり、品がある人ではないでしょうか。
クロノスがつかさどるところの時の流れに逆らえない運命ならば、
若さをしのぐ魅力を持ち、永遠に届くことができないような、
嵐や困難をくぐりぬけてきた、勇敢な魂がきらめく存在にこそ、
なりたいのではないでしょうか。

怠慢の逃げ道としての「エイジレス」ならいりません。
薄っぺらい若さの看板など吹き飛ばすような、
一瞬にして心奪われるような、
そんな年齢を重ねた魅力こそ、私たちが目指すべきものでしょう。
そんな存在になれたなら、
それにふさわしいスタイルをすればいいのです。
誰もついてこられないような高みを目指して、
上昇するのみです。


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2016年1月5日火曜日

恋愛のための衣装

珍しくも、恋愛のための衣装です。

大体において、モード系の人たちは恋愛のことなど考えていません。
デザイナーも、恋愛というシチュエーションを想像していない人が多いです。
ですから、ファッション誌、特にモード系の雑誌はこのテーマが不得意です。

正直な話、
私もどちらかといえば、このテーマは得意ではありません。
なぜなら、1990年前後の日本のファッションのピークの時代を経験しているからです。
あのころ、私たちがもっとも憧れたブランドは、
その名も「少年のように」でした。

しかし、これが間違っているのです。
恋愛したいのならば、
決して「少年のように」なってはいけないのです。

多くの男性は誰に恋するのか?
それは女性です。
(すみません、今回はLGBTの皆さんについては語りません。
決して認めていないわけではありません)

男性はデートで誰に会いに行くのか?
女性です。

男性が見たいのはどんな人なのか?
女性です。
決して、少年ではありません。

恋愛のための衣装とは、すなわち、
決して男性が着ないような衣装です。
なぜなら、それが男性の希望であり、欲しいものだからです。

さて、日本の特に冬の都会の景色は、
ダークカラーの男女で染まり、
後ろから眺めているだけでは、それが男か女かさえ、わからない状態です。
カジュアル化が進み、
どこへでもジーンズで行けるようになり、
Tシャツ、ジーンズの作業着オリジンのもの、
トレンチコート、Pコート、モッズコート、MA1ジャケットなどの軍服オリジンのアイテムを、
男女問わず着用するようになりました。
つまり、ファッションのジェンダーフリー化が進んだのです。

流行りのモードとしても、
ジェンダーフリーはよく取り上げられます。
男が女の服を着る、女が男の服を着る、
これは新しく、モードであり、ファッショナブルとされます。
しかし、恋愛において、ジェンダー、つまり男女差を無視してはいけないのです。

ジェンダーフリーのモードは、恋愛の敵です。
「少年のように」したいのなら、恋愛など、できません。

では、男性が決して着ない衣装とは何なのか。
それは色、素材、アイテム、シルエットにおいて存在します。

代表的アイテムはスカートとドレス。
このどちらも、今のところ、普通の男性は着ません。

そして色としてはピンク、柄としては花柄。
これも、多くの男性は着用しません。(もちろんたまにはいます)

そして素材では、シフォン、オーガンジー、サテン、レース、
デザインのディテールとしては、フリル、シースルー、リボン、プリーツなど。

これらを何にたとえるかと言えば、
花です。
男性は、お花のような色、質感、シルエットのスタイルに女性性を認めるのです。
それとは反対に、暗く、固く、四角いものに女性性を感じることはできません。
それがどんなにモードだとしても、
真っ黒で、固い素材で、重いシルエットのものは、
男性の手に入れたい、
触れたい、
そばにいたいものではありません。

では、女性の身体の特徴的な部分が露出したり、強調されていればいいのでしょうか。
短絡的にそのように考える人もいますが、
実は、必ずしもそうではありません。
身体を売り物にするのでなければ、
それはかえって逆効果となります。

今、説明しているのは恋愛のための衣装です。
恋愛に必要な大事な女性性の要素の1つは、恥じらいです。
恥じらいの感じられない服装は、恋愛のためのものではありません。

そしてもうひとつ、
これは多くの女性が気づかない点ですが、
恋愛対象の女性というものは、
男性にとって、攻略すべき存在です。
どういうことか。
最初からすべてを見せては意味がないのです。
やるべきことは、すべてを見せつけることではなく、
想像させることです。

「恋なんて謎があるうちよ」と、
昔の歌手が歌っていました。
それは衣装についても同じこと。
身体つき、胸の大きさ、
それらすべて謎でなければいけません。
想像させ、
どうやったら手に入るか計画させ、
ひとつひとつ手に入れさせていく。
その過程がなければ、男性はその恋愛対象の女性のことを本気で好きにはなりません。
簡単にわかってしまう女など、全く面白くはないのです。
それは安すぎるのです。
獲得しても、うれしくもないのです。
犯人を知りながら、ミステリーを読むようなものです。

お花のようであり、
謎が多く、
意味不明なディテールに満ち、
ひもとく楽しみのある衣装。

なぜこんな柔らかく、壊れそうな素材なのか、
なぜこんなにも汚れやすい色なのか、
なぜこんなところに無駄な布が使われているのか、
なぜこんなに着にくいのか、
なぜなかなか脱げないのか、
「絶対に俺には着られない」
そう男性に思わせる、そんな服装こそが、恋愛にふさわしい衣装です。

ですからこれはもはやモードではありません。
また、いつもいつもそんな格好をしているのも難しいでしょう。
それでもそこを狙うのです。
できる範囲でやるのです。

最後に1つ。
だからといって、これらが自分の好きでないものなら意味がありません。
好きでないものを無理に着たら、魅力が半減します。
また、男性の好みにすべてあわせる必要もありません。
男性の好みにすべてあわせるのなら、
あなたはその途端に獲物(ターゲット)ではなくなります。
すべて男性の好みになったのなら、あなたは攻略されたということです。
つまり、そのゲーム(獲物)は終了です。
終わらせてはいけません。

あくまで自分の意志を通して、
難攻不落なごとく、
恋愛の衣装を選びましょう。
永遠に愛されたいのなら、それが必要です。

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2015年12月31日木曜日

今年もありがとうございました。

今年もブログをお読みいただき、
どうもありがとうございました。

振り返ってみると、
このおしゃれブログのコラムも、もう既に300近くになっています。
これだけまとまったものは、
出版された書籍のたぐいでもないだろうと、
自負しております。

さて、来年からは、更新頻度を変更して、
完全に気まぐれ更新といたします。

もうかなりのところまで書いたということ、
かといって、書くことがないわけではないことなどを鑑みて、
私が一番気分よく、負担なくできるのは、
思いついたときに書くという、
ほかのブロガーさんと同じ頻度がよいという考えに至りました。

ということで、来年、完全に気まぐれ更新となりますが、
思いつきましたら、つれづれにつづっていきたいと思う所存でございます。

なお、ちょっとしたネタについては引き続き、
「麻とヴェルヴェット」に書いていきます。
何かお読みになりたい方は、そちらをどうぞごらんください。
(こちらのブログにまとめる前のたたき台の文章はそちらにちょこちょこ書いています)

では、改めまして、ありがとうございました。
来年もよろしくお願いいたします。

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2015年12月2日水曜日

印象コントロール

いまだに多くの人が他人の目を気にしてワードローブを構築しています。
その理由はいくつかあります。

その1つが、
「いつも同じ服を着ていると思われたくないから」という理由で、
たくさんの枚数を所持する場合です。

では、その当の本人が、
「いつも同じ服を着ている」と思われていないかといえば、
それは、はなはだ疑問です。

たくさんの人の実際のワードローブを拝見してきましたが、
この「いつも同じ服を着ていると思われたくない」という考えにとらわれている人ほど、
それとは逆の方向にワードローブの構築をしています。
つまり、意図するところとは違った結果を導くようなワードローブです。

例えば、こんな感じです。
何本ものブルー・ジーンズ。
3枚以上のトレンチ・コート。
Vネック、クルーネック、カーディガンと集めたグレーのニット。
微妙に色が違うだけの同じ形の台形スカート6枚。

「いつも同じ服を着ている」と思われたくない人たちの、
ワードローブを眺めてみればわかることですが、
そこには細部は違うけれども、
似たような形、色のものが多数そろえられています。
しかし実際のところ、
他人の目から見れば、
それはどれも同じです。

ジーンズがリーバイスだろうが、LEEだろうが、それはジーンズですし、
トレンチ・コートがバーバリーだろうが、アクアスキュータムだろうが、
それはトレンチ・コートです。
台形スカートの色や素材が少しぐらい変わっていようが、
それはいつも同じようなスカートをはいている人です。

他人の目は、細部やブランドなど、識別しやしません。
大体が、ジーンズをはいている、
スカートをはいている、
トレンチ・コートを着ていたなど。
もっと大ざっぱだと、
パンツかスカートか、それぐらいしか見分けません。
ですから、ジーンズを何本とりそろえて、毎日違うものをはこうが、
それはジーンズばかりはいている人ですし、
違うブランドのトレンチ・コートを毎日とりかえて着ていこうが、
それは毎日、トレンチ・コートの人なのです。

次の例です。
他人とは何らかの区別をつけたいと狙う人の多くが、
どこのブランドかすぐわかるようなブランド物のバッグを持っています。
すぐわかるということは、
ブランドのマークが大きくついていたり、
または、ブランド名が書いていたり、
デザインが一目でどこのものかわかるようなもの、ということです。

そういった人たちの多くが、
その人自身より、ブランド物のバッグのほうが印象深くなるという結果を招いています。

例えば有名なブランドの、シグニチャ―・モデルといわれるようなバッグを持っていたとします。
それが、その人の全体のスタイルとバランスがとれている場合は全く問題ありませんが、
そうではなく、
そのバッグだけが突出したクオリティや価格だとすると、
当然、そのバッグに人々の視線は注目します。
逆の言い方をすると、
他人は、そのバッグを見こそすれ、その人自身のことは見ません。
もし初対面の人だとしたら、その人のことではなく、バッグのことを記憶します。
今日会った何々さんはどんな人だったのかと聞かれたら、
「45万円ぐらいのシャネルのバッグを持っていた人」と答えるでしょう。

ファッション誌やネットに情報として流通している、
多くの有名なブランド物のバッグは、多くの人が記憶しています。
もしそれを全体のスタイルとは関係なく、持っていたのなら、
確かに多くの人は、そのバッグについての自分の記憶を喚起し、
頭の中で情報を処理し、新たに記憶し直すでしょう。
しかし、それだけです。
記憶に残るは、どこどこのバッグ、だけです。

このどちらの例も、
他人の目を気にして、その印象をコントロールしているようで、
それに失敗しています。

いつも同じものを着ていると思われたくなければ、
アイテム自体のデザインを変えなければなりません。
同じトレンチ・コートを何枚も用意するのではなく、
トレンチ・コート、ダッフル・コート、ピーコート、ステンカラー・コートというように、
アイテムをずらしていかないことには、
全く意味がありません。

また、どんなに高価なバッグを持っているとしても、
それが自分より目立ち、
他人の印象がそれだけになるのならば、
そのバッグを持つことの意味はありません。
高価なブランド物のバッグを持つならば、
そういえば、あのバッグはどこのものなのだろう、
ああ、あそこね、ぐらいの印象でなければなりません。
最初から、ディオールの50万のバッグの人、という印象だけを
他人に植え付け、
その人のことは忘れ去られたのでは、
全く意味がないのです。

これらすべて、自分が他人をどう見ているか考えてみればわかります。
あなたは誰かが着ていたジーンズがリーバイスなのか、LEEなのか、
気づいたでしょうか。
電車で一瞬すれ違った人がシャネルのバッグを持っていたとしたら、
それ以上、その人のことで何か覚えていることはあるでしょうか。
あるとしてもうろ覚えでしょう。
ましてや、その人自身の印象など、ほとんど記憶にないはずです。
他人とは、そういうものです。
そしてあなたも、誰かにとっての他人です。

他人、そして自分が識別するのは、
大まかな形、色、はっきりとわかる記号です。
ファッションに興味のない人だとしたら、
それは、スカートをはいていた人、パンツをはいていた人、
明るい色を着ていた、
暗い色を着ていた、
その程度です。
そして、バッグや財布に何か文字が書いてあり、
それがよく知られたものだったら読んで、情報として処理する。
それだけです。

好きなものを着つつ、
他人に与える印象をコントロールすることは可能です。
それはたくさん枚数を持っているとか、
ブランド物を持っているとかいう問題ではありません。
他人がよく見ていないところは端折り、
よく覚えているところを変えていく、
それだけでいいのです。

他人の目を気にするのなら、
もう少し賢くなりましょう。
あなたが気にしているところを、他人は見てはいません。
同様に、誰かが気にしているところを、あなたは見ていません。


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