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2014年4月21日月曜日

紺色(ダーク・ブルー)

日本語で言えば紺色、
英語だったら、ネイビー・ブルーやインディゴ・ブルーなど、
ダーク・ブルーの服は、誰でもが一度は着たことがあるのではないかと思います。
紺色はまず制服に使われることが多いですし、
ジーンズの色であり、
ピーコートやトレンチコートに多く使われる色だからです。
そして、男性のスーツばかりでなく、女性のスーツにも紺色は多く使用されます。
また、すべてのアイテム、Tシャツ、スカート、パンツ、靴下まで、
紺色は必ず売っています。
どこででも手に入りやすいのも紺色のアイテムの特徴です。

色彩心理学を出すまでもなく、
紺色は冷静さ、知的さを人々に感じさせます。
そこからはまじめな感じや、仕事ができるイメージを想起させます。
紺色を身につけることにより相手に与えるイメージは、
どれもポジティブなものばかりなので、
そんな印象を誰かに与えたい人にとって好まれる色です。

また、紺色は日本人の髪の毛の色となじみがいい色です。
黒から茶色のグラデーションと紺色は相性がいいと思います。
また色だけをとってみても、
紺色と黒の組み合わせは、上品にも、モードっぽくもなり、
コーディネイト全体を完成させやすい色合いです。

紺色の利点はまだあります。
紺色は、黒ほどに素材のよしあしを浮かび上がらせません。
たぶん、光の反射の具合が黒とは違うのが原因だと思いますが、
粗悪な素材の黒は、すぐそれだとわかるのに対して、
紺色の場合、あらが黒ほどわかりません。
手で実際にさわってでもみない限り、
学生の制服に使われる紺色のウール・ギャバジンと、
ハイブランドのウール・ギャバジンの違いはわかりません。

このように、多くの利点を持っている紺色という素材ですが、
唯一の欠点と言えば、多くの人が持っているので、
平凡に陥りやすく、
その人らしさを出しにくいという点でしょうか。
あまりに普通すぎるということにもなります。

このあまりにも凡庸な、
ありふれた、
しかし魅力的な紺色を、
その人らしく着るにはどうしたらいいか。
いくつかポイントがあります。

まずは、差し色で自分らしさを出してみること。
紺色に赤を差し色にしたら、そこに白を足すだけでトリコロールになります。
これは完璧ではあるけれども、ありふれた色合わせです。
この赤を、たとえば黄色にしてみるだけで、
紺色はより引き立ち、印象はがらりと変わります。
もちろん黄色ではなくても、紫でも、ショッキング・ピンクでも、
多くの色が紺色と合わせられます。
自分の好きな色を持ってくることで、凡庸から抜け出すことは可能です。

つぎに形の問題。
紺色のピーコートやトレンチコートは定番です。
ですから、どうしてもありふれてしまいます。
しかし、案外、紺色のブラウスやシャツは定番ではありません。
同じ紺色でも、アイテムによってはありふれていないものがあります。
紺色の学生用のバッグは多数ありますが、
大人用の紺色のバッグは極端に少なくなります。
靴にしても黒い靴ほど、紺色の靴はありません。
たとえば、紺色のブーツなど、ほとんど売っていません。
このように、同じ紺色でも、定番でない形、
アイテムにずらしていくことによって、人とは違った感じを出すことができます。

では最後に、紺色の定番を着て、それでもなおその人らしいスタイルについて書いておきましょう。
最近、ノームコアというファッション用語が新しく出現しました。
これは、肝入りのノーマルということで、
デザインも、色も、徹底的に普通のものを選ぶスタイルです。
この言葉を紹介していたBritish Vogueの記事には、
ジーンズとTシャツというような普通のスタイルのモデルたちの写真が多く掲載されていました。
この「ノームコア」を志向する人たちが多く選ぶ色の1つは明らかに紺色でしょう。
しかし、彼女たちは決して凡庸ではありません。
たとえばモデルであるとしたら、彼女たちは非凡な体型を持っています。
そのスタイルは紺色の定番アイテムを身につけることによって、
より一層引き立ちます。

また同じように、白いシャツにジーンズというようなスタイルを好むデザイナーたちはどうでしょうか。
彼らの体型は非凡ではありません。
しかし、彼らは非凡な才能の持ち主です。
彼らがアピールしたいのは、着ている服ではなく、その才能です。
彼らが誰かと会って話すとしたら、必要以上に服に注目がいっては、
その才能が見えません。
彼らは自分の才能を目立たせるために、あえてインディゴ・ブルーのジーンズを選ぶのです。

もしあなたが何かの分野で、
それは体型かもしれませんし、話術かもしれませんし、美しい顔かもしれませんが、
非凡であるならば、
あえて紺色の定番だけでコーディネイトしてみるのもいいかもしれません。
必要以上に服に出しゃばってほしくなかったら、
服が余計な情報を伝えてほしくなかったら、
それ以外の部分をぜひとも理解してもらいたいのなら、
凡庸な紺色のコーディネイトは、それらを引き立てるでしょう。
服のことなど見ないでほしいとき、
忘れてほしいとき、
紺色は強い味方です。

紺色の服は、世界の意味のコードの中で、強固な意味を持っています。
それが壊れることはありません。
時にはそれを利用し、
時にはそれに助けてもらい、
時にはそこから抜け出して、
自分なりの紺色との付き合い方を見つけましょう。
ダーク・ブルーは暗闇などではなく、
明晰な知性です。
賢く見せるためではなく、
賢いからこそ、使いましょう。
ブルーになるためではなく、クリアになるために使いましょう。
それは誰でも、いつでも、どこでも手に入れることができる、
多くの人に平等な色です。















2014年4月14日月曜日

被服費と被服にかけるエネルギー

最近ではあまり使わなくなりましたが、
エンゲル係数という言葉があります。
エンゲル係数とは、家計の支出の中で、食費のしめるパーセントです。
これが高いほど、生活水準が低いとされます。
食費は削ることができない必要経費だからです。

さて、生計における被服費のパーセントについて、呼び名は特にありませんが、
自分の生活費の中で、どれぐらいの割合を被服費に使っているか、
把握していることは、悪くはありません。

私がいろいろな人にリサーチした結果ですが、
被服費について年間で予算を立てている人も、
実際にいくら使ったか把握している人も少数派です。
服に関しては、高額なものを買うとき以外、
行き当たりばったりのお金の使い方の人がほとんどです。

被服費と一言で言っても、その中身はさまざまです。
下着もその中に入りますし、消耗品としてのTシャツなどや、
また長持ちするコート、そして靴、バッグ、ジュエリーなど、
金額から、減価償却の期間まで、大きく幅があります。
ですから、余計に、家計における被服費は把握が難しくあり、
放っておかれることが多いです。

また、これは被服費とは呼びませんが、
服や靴のメンテナンス費用があります。
クリーニングに出せばクリーニング代が、
靴を直すなら修理代が、それぞれかかります。

そして、特に都会のマンションに住んでいる方の場合、
服を補完するのに使っているスペースの問題があります。
家賃のうち、どれだけの部分が服のために使われているか、
シビアに計算してみると、かなりの額になるということがわかります。

それらとは別に服にかける時間とエネルギーがあります。
服にかける時間とは、それを買いに行く時間、朝、または夜、何を着るか考える時間とエネルギー、洗濯やアイロンかけの時間とエネルギーなど、
服やバッグ、アクセサリー、小物など、全般にかける時間とエネルギーです。

単純に、多ければ被服費が高いとは言えませんが、
(なぜなら高いものを少なく所有することもあるからです)
モノとして多ければ多いほど、お金も時間もエネルギーもかかります。
これら被服にかけるお金、時間、エネルギーが、
自分の持っているお金、時間、エネルギーに対してどれぐらいがちょうどいいのか、
適切なのか、それぞれが改めて考えてみる必要があるのではないのでしょうか。

何度か書きましたが、
洋服やバッグのお金をかけてみたところで、決して人生はよくなりません。
服飾学校に行っていたころ、
服に相当なお金、時間、エネルギーをかけている人たちを多く見ましたが、
その人たちの人生が、そのおかげでその後、よくなったなどということはありません。
20代のころのヴィトンのバッグも、ヴィヴィアンのジャケットも、ブルガリの時計も、
その人を成長させたり、賢くさせたりは決してしません。

残念ながら、私たちのお金も時間もエネルギーも限られています。
その総量は、人によって違うでしょう。
多くのお金を持っている人は、多くの服を買うことができるでしょう。
確かにお買い物はエネルギーを動かす行為なので、
一瞬は気分がよくなります。
しかし、それだけです。

感覚を刺激するものに、私たちはすぐに負けてしまいます。
だけれども、心地いいもの、快適なもの、気分が上がるものだけを求めていったとしても、
本当の満足感や幸せは得られません。
自分が今まで服に使ったお金、時間、エネルギーは、
はたして自分を幸せにしてくれただろうか、
成長させてくれただろうかと、振り返って考えてみてください。
それがまさにそのとおりで、何の問題もないと思えるのなら、
今のままで構いません。
だけれども、もしそうでないのだとしたら、
今、それらについて考え直しましょう。

安いものを買えばいいとも、
どんどん捨てろと言っているのでもありません。
そうやって使ったお金、時間、エネルギーと見合ったものが自分に残ったか、
その点について考えてほしいのです。

限られたお金、時間、エネルギーが被服にかかり過ぎであるならば、
それは減らしましょう。
そしてもっと有意義に、成長や幸せの方向に使いましょう。
ほとんどの人にとって、服は人生で最も重要なことではありません。
それは必要で、ファッションは楽しいものだけれども、
あまりにも重きを置きすぎるのも、何か違うでしょう。

自分の身の丈にあったお金と時間とエネルギーの使い方をしましょう。
それは感情や感覚ではわかりません。
あくまでも冷静に、理知的に。
それでは足りない、遅れている、かわいくないと、
あおる風に負けないように。
その結果は何年か後にわかります。
欲望に負け続けた人の顔と、それに打ち勝った人の顔とでは明らかに違いますから。
そこに人々は、美しさを見ますから。

2014年4月7日月曜日

テーラード・ジャケット

ジャケットにはいろいろな種類がありますが、
テーラード・ジャケットだけは特別な意味が与えられています。
つまり、どこへ出ても恥ずかしくない、きちんとしている服装、という意味です。

さて、では、テーラード・ジャケットとは、どんなジャケットのことを言うのでしょうか。
英語で考えてみると、これは「仕立てられた上着」という意味なので、
上着の形状については何も示していません。
しかし、日本でテーラード・ジャケットと言った場合、
襟の形がテーラード・カラーであるジャケットという意味になります。

しかし、テーラード・カラーというのもおかしな言葉で、
それだけでは「仕立てられた襟」以外の意味にしかなりません。
改めて考えてみるとおかしいなと思って少し調べてみたところ、
英語ではMan-tailored collarという言葉があるようです。
これは男物仕立ての襟ということで、必ずしもジャケットの襟のことではないようですが、
たぶん、この言葉のManが省略された、テーラード・カラーという言葉が日本で定着したのだと思います。

日本で言うところのテーラード・カラーというのはどういうものかというと、
立襟を折り返してラペルを作り、胸のあきがVになった襟のことです。
ラペルというのは下襟のことですが、この部分は身頃についた形になっています。
襟として縫い付けられているのは上襟のみです。
テーラード・カラーとは、もともと立ててあった襟を開いた形のことで、
その名残としてラペルの先にボタンホールが残っていることもあります。
あのボタンホールは閉めて着ることが可能なもので、
逆のラペルの裏側、本来であれば表側にはボタンがついているはずです。
しかし、現在では単なるデザイン的に残されているだけなので、ボタンなしものが多いでしょう。

いつごろから立て襟が開かれるようになったか、正確なところはわかりませんが、
ヴィクトリア朝の絵画で、女性の上着で襟が開かれた形のものがあったように記憶しているので、19世紀後半ぐらいなのではないでしょうか。
(すみません、ここは不確かです)

いずれにせよ、男性の軍服の立て襟が、息苦しさからなのか、暑さからなのか、
開いて着られるようになり、それがスーツのジャケットの襟に継承され、
それを真似る形で女性もののジャケットの襟として採用されたのがテーラード・ジャケットです。
ですから、テーラード・ジャケットの定義は、襟がテーラード・カラーである上着のこと、となります。

特に日本においてですが、
テーラード・ジャケットには、「ちゃんとした」という意味合いが与えられています。
もし、きちんとした格好をしなさいとか、恥ずかしくない格好でと言われた場合、
とりあえず、テーラード・ジャケットを着ていれば、許される場合が多いです。
ましてや、それがスーツであったのなら、ほとんどの場合、問題ありません。

ここで、ほとんどと書いたのは、必ずしも100パーセントではないからです。
ファッションは自由な表現、そして変化を好むので、
伝統的なものを壊したり、変化させたりします。
その中で、このテーラード・ジャケットもさまざまなものが提案されてきました。
たとえば素材。
ニット、レース、カットソーなど、いわゆる男性のスーツには採用されない素材もどんどん取り入れられています。
また、大胆な柄物、チェック、ストライプなど、生地に多色の色付けがされているもの。
そして、ビッグ・シルエットや、わざとバランスを崩したシルエット、アシンメトリーのものなど、正統とはほど遠いシルエットものなど、
襟こそはテーラード・カラーではあるけれども、
そのほかの部分については、男性のスーツの背広とはほど遠いものも存在しています。
ですからテーラード・ジャケットと言えども、「ちゃんとした」という意味合いには当てはまらないものも数多くあります。

では、何を持って「ちゃんとした」と言っているのかというと、
それはあくまで男性のスーツの背広に準じているかということです。
それに近ければ近いほど、ちゃんとした感じがするのだと、日本人は考えていて、
その意味を与えました。

しかし、これはあくまでも日本だけの、まさに日本ローカル・ルールであり、
海外であれば、また別です。
たとえば、洋服の正統が今も存在しているであろうと思われるイギリスにおいて、
その代表であるエリザベス女王は、いつも正式で、きちんとしている存在ですが、必ずしもテーラード・ジャケットを着用しているわけではありません。
ノーカラーのときもあれば、フラット・カラーのときもあります。
また、ブランドで言えば、洋服の王道、シャネルのシャネル・スーツのジャケットもノーカラーです。
襟はありませんが、これは十分に「きちんとした」ジャケットです。

つまりこの暗黙のルールは世界共通ではないし、絶対ではないけれども、日本においては有効であるということです。
ですから、私たちはこれを利用すればいいわけです。

ジーンズだろうが、チノパンツだろうが、ミニスカートだろうが、ショート・パンツだろうが、
男性のスーツのジャケットに準じるようなジャケットを1枚羽織れば、
ほとんどのところへの出入りは許されます。
それは見えない威力です。
インナーがTシャツだろうが、ノースリーブのニットだろうが、
テーラード・ジャケット1枚で、高級レストランのドレス・コードに引っかかりません。
テーラード・ジャケットはおじさんのスーツのジャケットと同じで、つまらない、動きにくい、夏は暑いととらえるのもいいですが、
これ1枚でもどこへでも行けるのだと思えば、
それは強い味方です。

必ずしもすべての人にテーラード・ジャケットが必要だとは思いません。
だけれども、銀行へ行くとき、弁護士とミーティングをするとき、
パスポートの写真を撮るとき、どこかの会社の応接室に通されたとき、
テーラード・ジャケットは役に立つのです。
それは意味を相手に伝えます。
その意味とは、私はあなた(たち)と会うためにちゃんとしたスタイルで来ましたよ、ということです。

テーラード・ジャケットは、日本社会に広く浸透した、社会的服装の1つのコードです。
それさえ着ていれば、どこへでも行ける、きちんとしていると認められる、
便利な通行証です。

あれこれ自分を説明する必要も、
相手を説得する必要もなく、
無言で通してもらえる、
許可証のようなジャケット。
そんなジャケットを1枚持っているのは、悪いことではありません。
買うときは、できればスーツで、
クオリティのいいものを、
そして長く着られる、流行にあまり左右されないような、トラッド寄りのデザインで。
日本で生活している限り、それは役に立ちます。
皆がそれを信じている限り、それはずっと続きます。
その意味が変わるときとは、社会自体が変わってしまうときでしょう。
そのときが来るまで、テーラード・ジャケットは、日本社会において、1つの意味のある言葉です。





2014年3月31日月曜日

脇役の衣装

誰でもが、いつでも自分の人生の主人公でいたいものですが、
残念ながら、そうはいかないときもあります。
自分の人生であるにもかかわらず、脇役を配され、それにふさわしい衣装を着なければならない、そんな状況もときにはあるでしょう。
その場合、どうするか。
そのときは脇役にふさわしい衣装を着なければなりません。

主役ではないとはどういうことかというと、
その場において自分が一番目立ってはいけないということ、
一人芝居ではないのだから、ほかの出演者との兼ね合いを考えるということ、
そして何より、そのシーンにおいての監督、衣装デザイナーの意見に従うということです。

まず、主役より目立ってはいけないことについてですが、よく映画や舞台でも、演技がうまいのをいいことに、主役を食う脇役というものがいるものです。
それは、その脇役の役者にとっては少しばかり得意げなことなのでしょうけれども、
それが全体の芝居を壊すのだとしたら、決してほめられた話ではありません。
主役を立ててこその脇役。
主役より目立とう、うまくやろうということは、してはいけないことなのです。

たとえば結婚式の披露宴。
主役はあくまで新郎新婦。
披露宴に出席したいと自分で望んだならば、脇であることはわかっているわけですから、
花嫁より目立つ衣装は困ります。
また、花嫁の存在をおびやかすような、まるで競っているかのような装いもいけません。
その場において自分はどんな位置づけなのか、
そして何がふさわしいのか、必要以上に目立ってはいないか、失礼ではないか、
そんなことを考える必要があるでしょう。

つぎにほかの人との兼ね合いです。
決定権のある主役というものは、ほとんどの場合、ほかの人との兼ね合いなど考えなくてもよいものです。
自分がそれを好きであるならば、そしてそのとき着たいと思うのならば、
その服装をすることは全く問題がありません。
しかし、その場において主役でないとしたら、やはり周囲との兼ね合いを考慮しなければなりません。

よくあるのはホテルやレストランのドレス・コード。
ホテルやレストランといった舞台を作った監督が、そのシーンにふさわしい服装をそこに集う人たちに要求しています。
そこではホテルやレストランそのものがいわば主役です。
ですから、その建物やインテリア、そしてほかのお客様との兼ね合いで、ふさわしい服装をしなければなりません。
しかし、多くの場合、このドレス・コードは明文化されているので、それを確認すればいいだけですから、問題はありません。

難しいのは職場です。
社長やCEOでもない限り、その職場においては、その人はその場の主役というわけではありません。
頼まれてやっているのならまだしも、
頼みこんで入れてもらったのだとしたら、そこでは脇役です。
脇役の一人としての衣装がふさわしいということになります。

職場によって、ローカル・ルールは違います。
それが明文化されている場合もあれば、暗黙の了解であることもあるかもしれません。
作業着の職場においては作業着がふさわしく、
白衣なら白衣、
スーツならスーツです。
倉庫なら倉庫で働くときの、
受付なら受付の、
会議に出席するなら会議のためのルールがあるはずです。
ルールを決めるのは自分ではありません。
頼みこんでいった、その先のトップにその権限があります。
ですから、それに従わなければなりません。

困ったことに、最近の職場の多くでは、服装のルールは明文化されていないようです。
しかし、明文化されていないからといって、ルールが一切ないというわけでもありません。
服装については全くの自由というルールかもしれませんし、
大体の目安のルールはあるのかもしれません。
誰かが教えてくれるかもしれませんし、
誰も教えてくれず、陰でこそこそ言われるかもしれません。
そんなときはどうするか。
それは周囲の人に合わせる、それしかありません。
周囲が作業着なら作業着が、スーツならスーツがその場にとってはふさわしい衣装です。
多くの、いわゆるオフィスにおいて、男性社員はスーツ、またはスーツの上着を脱いだスタイルで仕事をしているでしょう。

服装については自由でない職場の場合は、男性社員のスーツ姿の横に立っても違和感のないスタイルがふさわしくなります。
では、スーツの男性の横に立ってふさわしいスタイルを探るにはどうすればいいのか。
それは彼らのスタイルの近似値を見つけることです。

男性のスーツは、素材は多くがウール、またはウールの混紡、ジャケットの下にはコットン、またはポリエステル混紡のシャツ。
冬場の寒い時期は、その上にニットを着るかもしれません。
そうだとしたならば、そのスタイルの女性版を考えます。
まず、スーツということは、ジャケットとパンツなど、2ピースが同じ素材ということですから、
同じように、ジャケットとスカートのスーツにする、ブラウスとスカートのセットアップにするなど、合わせます。
ニットを着ているようでしたら、ニットが認められているということなので、ニットの着用も可能とみなします。
ただ、Tシャツ、キャミソール、タンクトップなど、下着をオリジナルにもつアイテムは、その職場の男性社員がTシャツ姿で仕事を許されていないのだとしたら、許されていないと考えたほうが無難です。
(当たり前ですが、職場において下着姿は、下着製造メーカーでもない限り、禁止です。つまり、下着を見せてはいけない、ということです)

では、パンツスーツはどうでしょう。
パンツスーツはスカートのスーツに比べると、格が下に見られています。
なぜなら、歴史的に女性がパンツをはくという行為は、男装であったからです。
パンツをはくということはあくまで男装のためなので、正式ではありません。
よって、パンツスーツは格下です。
格下ではありますが、スーツという意味においては許されていないわけではないでしょう。
それはその職場のルールによります。

しかし、これもあくまでローカル・ルールです。
アパレル業界では、服装はおおむね自由か、もしくはその会社のイメージのものの着用が推奨されるでしょうし、IT企業では、ジーンズやポロシャツでの仕事も認められているでしょう。
(CEOがジーンズ姿なら、それは認められているということです)
アメリカの企業なら、アメリカン・スタイルが、サウジアラビアなら中東のスタイルが、それぞれよしとされるでしょう。
(もちろん、アメリカのスタイルが世界標準だということではありません)
また、立場によっても違います。
正社員なのか、アルバイトなのか、平社員なのか部長なのか、
それぞれに要求されるスタイルがあるでしょう。
とにかく、相手に合わせる、ローカル・ルールに従うことが脇役としてやるべきことであり、ここぞとばかり、自分の好きな装いをしてはいけません。

多くのデザイナーが、女性たちに自分の好きなスタイルをして、そのことにより自信を持ち、ポジティブでいてほしいと考えています。
しかし、時と場合によっては、それがかなわない場合もあるのも、また事実。
極端な話ですが、いつも好きな服を着ていたいなら、
脇役になるようなところへは、なるべく行かなくてすむような人生を作らなければなりません。
それは人それぞれの選択です。

しかし、脇役を自分で選んだのだとしたら、それを悲観的にとらえたり、マイナス面だけを見たりせず、積極的に利用するというのも1つの考え方です。
アカデミー賞にさえ、助演女優賞はあるのですから、
脇には脇なりのやりがいがあり、自分の出し方があります。
出る幕も、セリフも、称賛も、報酬も少ないかもしれませんが、
いなければ舞台は成り立ちません。
それはつぎに主役に選ばれるための、一つのステップである可能性もあります。
また、そのときはそれがその人の役割なのかもしれません。
そういえば、長い脇役時代があって、40代で舞台の主役に選ばれ、
その後、死ぬ直前までずっと主役を演じてこられた女優さんがいらっしゃいました。
その方は、脇役時代、そんな服装をしていたのでしょう。
きっと、主役を食わないように、目立たなく、控え目にしていらしたのではないでしょうか。
そしてそれができたのも、それが自分で選んだことであり、
そしていつか主役ができるときがくると信じていられたからに違いありません。

脇役時代、誰かの決めたルールで、評価されるための服装を選ぶこと。
人生の一時期のそんな経験も、決して無駄にはならないでしょう。
なぜならその経験は、同じような脇役の人のことを理解できるようになるからです。
脇役の中で何ができるか、できないか。
自分というものをどこまで出すか、出さないか。
主役に近づくための、脇役の衣装の選択を、ぬかりなく、したたかにしたならば、
自分が主役の舞台の初日は近づきます。
その日を見据えての戦略ならば、それを考えるのも楽しいもの。
いつか主役になる日をあきらめていない脇役ならば、
その人はそんなルールの中においてさえ、輝いて見えるでしょう。
そしてその輝くを見逃さない観客も、同時に存在していることでしょう。


2014年3月24日月曜日

多色使いのコーディネイト

すべてにおいて過剰な時代がやってきました。
分量も、装飾も、そして色についても、です。
自分のスタイルを保ちつつも、時代の流れを考慮して、これに対応しなければなりません。
流れが急カーブで曲がってしまったので、どうしたらいいか、わからないことも多いでしょう。

洋服において、シックの基本はシャネルが言ったところの、3色ルールです。
コーディネイト全体の色を3色以内におさえます。
これは洋服の基本中の基本なので、まずはおさえておかなければなりません。
それができるようになった上での多色使いです。
何事も基礎がたいせつなので、土台はきちんと建てておきましょう。

さて、では多色、つまり3色以上についてのコーディネイトですが、
それに入る前にまずは柄物のおさらいです。
このブログのごく初期のページに柄物のコーディネイトについて書いてありますが、
覚えていらっしゃいますでしょうか。
柄物を取り入れる場合、その柄に使われている色の中で全体をコーディネイトする方法が、もっともおしゃれに見えます。
花柄でも、チェックでも、そうです。
また、プリントではなくても、多色使いのツイードや、ニットの場合も同じです。
たとえばシャツの柄の中に、青、赤、白、黄色と使われていたならば、
そのほかのボトム、バッグ、帽子、靴、ストールなどを同じように青、赤、白、黄色で構成します。
こうすれば、柄物を着たときでも、色が散らかった感じになりません。
統一感が出てくるので、すっきり整って、調和のとれたコーディネイトになります。
多色使いのコーディネイトの基本はこれです。

しかし、流行の流れは柄物のアイテムを1つ入れる以上のに多くの色を使う方向へ向かっています。
これは、どちらかというと上級テクニックになります。
簡単ではありません。
簡単ではありませんが、うまくまとめる方法はあります。
方法は2つあります。

まず1つ、差し色的な色の使い方。
3色ルールの場合、差し色という考え方がありました。
わかりやすいのはトリコロールですが、青と白で全体のほとんどの分量をまとめて、
バッグや靴などを赤を差し色として投入しました。
多色使いの場合は、この差し色の使い方を変えていきます。
差し色として使っていた色を、今度は全体の中に一部、差し入れる色ではなくて、
コーディネイト全体をつなげて、まとめていく色として考えます。
例を挙げると、4色使いの花柄をまず選んだとします。
次の段階では、その花柄の中の色でそのほかのアイテムを選びます。
そして、最後にそれをまとめる色として、以前、差し色として使っていた色を、
全体に配置していきます。
その場合、少なくとも2か所以上、その色をつなげていくと、全体がまとまります。
差し色の場合はどこかの1か所でも色がきいてきたわけですが、
この場合はその場所をふやします。
今までバッグだけ赤だったとしたら、靴、ストールまで広げます。
色数が多いほど、つなげる箇所をふやしたほうがまとまって見えます。
ですから、いつでもこの方法でコーディネイトを完成させるためには、
差し色としての小物、また小物以外でも、Tシャツやカーディガンなど、比較的、色を選べるアイテムをそろえておく必要があります。
それさえできていれば、どんなに多くの色を使っても簡単に対処できます。

次の方法は、多色使いのコーディネイトの中で、面積の少ない小物ではなく、もっと大きな面積、たとえばジャケットやコート、ボトムなどをどこか2か所、同じ色にする方法です。
どんなにたくさんの色を使っても、大きな面積で同じ色を2か所つなげれば、全体としてまとまりが出てきます。
また実際、多くのコレクションで発表されているスタイルも、この方法を使っているブランドが多いです。
この場合、その2か所の色は、ほぼ同じである必要があります。
たとえば、コートとボトムはまったく同じ色、そして残りのアイテムはそれぞれ違う色というような方法です。ストールが大きい場合は、ストールとボトムなどでもいいでしょう。
面を大きく同じ色で占領させれば、このスタイルは完成します。

コレクションなどで発表される、多色使いは、使われている色の明度と彩度を合わせてあります。
ですから、当然のごとく、まとまって見えて、ごちゃごちゃした感じがありません。
けれども、それを私たちが今すでに持っているアイテムでそれをやるのは至難の業です。
どうしてもすべてを完璧に整えたいのであれば、同シーズン、同ブランドでそろえるのが一番いい方法ですが、なかなかそれは難しいと思います。
そうであるならば、その次にできそうな方法を採用すればいいわけです。

どちらにせよ、多色使いをうまく構成するには、日頃から自分のワードローブの色をきっちりそろえておく必要があります。
そのためにも、思いつきや、行き当たりばったりでのワードローブ構築は避ける必要があります。
今だけの、近視眼的な、全体が見えないやり方では、すぐに破たんしてしまうということです。
色に対してうるさくなればなるほど、本当に選ぶべきものは少数しか売っていないということがわかります。

洋服を含めたモノには形があります。
形があるものは、でき上がってからなくなるまで、一定期間の時間を要します。
洋服は、数分で溶けるアイスクリームではありませんから、もっと大きな視点を持って選ばなくてはなりません。
その視点が正しいものであったかどうかは、自分のワードローブの何割がちゃんと働いているかどうかを見ればわかるでしょう。
ふだんは見えないタンスの奥にしまい込んだとしても、それは決してなくなることはありません。
誰も言ってはくれませんが、並んだワードローブを見た瞬間、自分の心がその正否を教えてくれるでしょう。
そして、その始末をつけるのは自分自身しかありません。

多色使いは難しいです。
しかし、チャレンジしてみる価値はあります。
色に対する感性を磨いて、
ストイックにいらないものを切り捨てて、
時間をかけて構築して、
そんな作業がうまくいったなら、それはきっと自信につながります。
自分に自信がないと言う前に、まずはやってみましょう。
失敗しただけ身につきます。
時間をかけた分だけうまくいきます。
色の違いがはっきりとわかったならば、そのとき世界は新しい色彩で生まれ変わるでしょう。
そして、あなたは今まで色について全く理解していなかったと知るでしょう。
それは、色によって分割された世界が新たな意味を持った証拠です。








2014年3月17日月曜日

服とバスト

オーダーメイドでない限り、
普通の人々は既製服を着ることになります。
出来合いなので、必ずしもぴったりというわけにはいきません。
どこかしらに不具合が出てきます。
袖丈、着丈、肩幅など、不具合が出る個所はさまざまですが、
バストが合わないことによる不具合は、致命的です。

既製服のサイズの設定は、あくまで平均値です。
日本の場合は、日本の女性の平均値をもとに7号、9号、11号というように、
サイズ分けしてあります。
服に限って言えば、
胸が大きい人に、現代の既製服は似合いません。
それは構造的な問題です。

服は生地から構成されています。
生地は二次元の平面ですが、それを人間の身体という三次元の世界へ変換させます。
人間の身体には凹凸がありますから、生地をそのままではなく、
何とかその凹凸にあわせなければなりません。
そのあわせ方の方法は、時代やその地域の文化によって違っていました。
古くギリシャ時代の衣装はドレープを多用することによって生地を身体に合わせました。
日本の着物は、生地をなるべく切らず、身体にのせるという方法で身体に合わせました。
現代でも、世界を見渡せば、「西洋服」を採用していない文化圏もたくさんあります。

古代ギリシャのドレープや、日本の着物とは違って、
洋服は、生地に切り替え線やダーツを入れる方法によって身体にそわせてきました。
もちろん、そのほうが身体にぴったりとした衣服ができ上がります。
身体にはぴったりそうようにはなりますが、その半面、
パターンは複雑になり、カットされた後、大量の切れはしが発生します。

既製服は、多くの人に、効率的に、工場で大量生産するために発達してきたものです。
工場製品であるので、無駄はなるべく省いていきます。
そのときにまず考えるのが、この大量に発生する切れはしをなくすことです。
そのためには、身体にそうとはいえども、なるべくカーブの少ない、
無駄のないパターンが望ましくなります。
カーブの少ない、無駄の少ない服が似合うのはどんな体型か。
それは、凹凸の少ない体型ということです。

オーダーメイドから既製服に大きく変化したのは、60年代から70年代にかけてだと思われます。
50年代のファッション誌を見てみると、
バストと細いウエストが強調された、複雑なパターンのジャケットが多く提案されています。
しかし、それらは既製服ではありません。
50年代の後半にピエール・カルダンがパターンの複雑でない、まっすぐなラインのプレタポルテを発表し、60年代に入り、身体に凹凸の少ない、モデルのツィッギーが出現しました。
複雑でないパターンの服、そしてそれの似合うモデルの出現は、
これから始まる既製服の大量生産時代には、必須の出来事でした。
そして、その流れは現在も続いています。
コレクションを見ればわかりますが、どのモデルもスレンダーで、女性的な曲線は強調されていません。
その理由は、彼女たちが既製服のためのモデルだからにほかなりません。

以上のような理由から、現在の既製服は胸の大きい人には似合わないようにできています。
日本では、サイズの規格は決まっているので、どこで何を試着しても同じです。
胸が大きいと、サイズの号数が大きくすることでしか対応できません。

実際、バストのサイズがあまりに合わないと、服は大きく崩れます。
それは見るも無残な姿です。
丈は直せますが、バストの幅は直せません。
脇で出せたとしても、全体のラインは崩れます。

対処の方法としては3通りあります。
まず1つは、日本規格以外のもので自分に合うもの方法。
外国のブランドは、日本の規格とは違いますから、サイズのバランスも変わってきます。
探していけば、自分の体型に合うバランスのブランドがあるかもしれません。
ただ、外国製品で注意しなければならないのは、製品によってサイズ感が大きく違うということです。
このブラウスで40はよくても、ドレスの40はだめであるとか、
また、去年はよかったけれども、今年はだめなどあります。
必ず試着して、サイズ感を確認してから買うようにしてください。

次は、バスト寸法があいまいなデザインのものを選ぶ方法です。
服のでき上がり寸法のチェックは、ボディ(フランス語だとトルソー)に着せて行います。
そのとき、ダーツやダーツ分をとるための切り替え線のゆるみが多すぎると、はねられることになります。
しかし、胸のあたりがタック、ドレープ、ギャザー、プリーツの場合は、ゆるみはそのまま認められます。
日本のサイズ規格のもので選ぶとしたら、ダーツ、パネル切り替えのものは避け、違う方法で胸のダーツ処理をしているものを選べばいいわけです。
そして、それがタック、ドレープ、ギャザー、プリーツということになります。
もちろん、最近は、シルエット全体がゆるくなってきていますので、そういったビッグシルエットのものを選ぶという方法もあります。

そして最後ですが、これは既製服はあきらめて、オーダーで服を作る方法。
こうすれば、身体にフィットした、胸によって全体が崩れることのない服はできますが、値段が高い、パターンとセンスのいいオーダーのお店がないなどが難点でしょう。

胸が大きいほうがいいとか悪いとか、
また、胸が小さいほうがいいとか悪いとかいう価値観は、どれも絶対的なものではなく、相対的なものです。
地域、文化圏、そして個人の嗜好によって大きく異なってきます。
だから、どちらがいいかでもめるのは意味がありません。
大体、自分の胸の大きさなど、自分で決めて作ったものではないでしょう。
そして、手術でもしない限り、自分で変化させられるものでもありません。
それは、私たちのコントロールの外にあるものです。
コントロールできないものについて、いい、悪いと決めつけるなど愚かなこと。
受け入れること、認めること、それ以外できません。

残念ながら、既製服の世界では、大きい胸は受け入れられませんでした。
だからといって、落ち込む必要はありません。
小さいほうがいいという言う人も、大きいほうがいいと言う人も、
その価値観に縛られた、囚われた不自由な人たちです。
その人たちはいわば、目がふさがれていて、個々の美しさというものが見えない、哀れな存在です。
そんな人たちの言うことは聞く必要がありません。
美しさというものは、そんな人たちには負けません。
美しさとは、言葉をこえた音であり、目には見えない消えない光であり、神様がくれた力です。
そしてそれは、最後にいつも勝つものです。








2014年3月10日月曜日

記号化されたアクセサリーにさよならを

実際のところ、アパレルの、特に作る現場では、「アクセサリー」という総称的な用語はほとんど使われません。
それらは、マフラーであり、ネックレスであり、ジュエリーであり、帽子であり、手袋です。
たぶん、「アクセサリー」という総称は、それを売る側、またはスタイリングする側の立場からの呼び方であり、くくり方ではないかと思います。
たとえば、デパートのアクセサリー売り場のような。
ですから、洋服を作る側にいた私も、あまりアクセサリーという言葉は使いません。
何かを指し示すなら、その具体的な名前、もしくは「小物」などと呼んでいます。

さて、それについてはいいとして。
ファッションにおいて、おしゃれに見えるためのポイントとして、
新しいもの、珍しいもの、オリジナルなものなどが挙げられます。
これらはどれも、多くの人が見たことがないもの、知らないものという意味です。

多くの人が見たことがないもの、知られないものは、
新鮮な印象や驚きを見るものに与えます。
その新鮮さや驚きが、それを身につける人自身に反映され、
おしゃれに見えるのです。

となれば、この総称としての「アクセサリー」も同じように、
見る側におしゃれな印象を与えなければいけません。
特に、服自体がシンプルであればあるほど、
アクセサリーという差異を表現する言語は、重要になってきます。

しかし、ここでジレンマがあります。
というのも、最近の装飾品の多くが、すでに情報として流通していて、
記号化されてしまっているものが多いのです。
どういうことかというと、
誰が見てもわかる、どこどこの指輪、あそこのロゴのついたキーホルダーなど、
アクセサリー自体が、そのものの表現ではなく、
それ以外の部分の情報をくっつけて存在しているからです。

ロゴやブランドタグの流行がいつから始まったか、定かではありませんが、
60年代のファッションを見ると、まだまだ今のようなはっきりとしたロゴは見られないので、
きっとそのあとからでしょう。
それまで、ブランドタグやロゴがなかったわけではありませんが、
もっとつつましやかで、着る主体より目立つなどということは、ありませんでした。

ロゴやブランドタグが目立つこと、
そしてそれが情報として流通することにより、
アクセサリーは記号化され、それを身につけていれば、
その情報を同時に運ぶことになり、見る側がその情報について知っている場合には、
すぐさまそこで消費されることになります。
そのときに行われる、人と人のあいだの情報交換は、
その人自身のパーソナリティを示すためのものではなく、
社会に流通しているブランド情報の値踏みとなります。
それは、身につけている人自身を強化することはなく、
素早く消費され、そこだけを強く印象に残します。

この一連の作業が行われるならば、
もうそこには新しさも珍しさも、
そして何よりその人のオリジナリティはありません。
しかも、その情報の消費はあまりに素早いので、すぐに次の情報を持たなければならないはめになります。
モノとしての寿命より、消費としての寿命を速めること、
そして、その情報がもはや古いものだと追いたてることによって、
ファッション業界は、大量生産、そして大量消費を促すことに成功しました。

ここから抜け出し、本当の意味でおしゃれ、つまりその人がオリジナルに見えるためには、記号化されたアクセサリーに別れを告げなければなりません。

しかし、多くのアクセサリーにブランドタグやロゴがあり、
実際に、100パーセント、そこを遠ざけるのは難しいのが現状です。
ここで、おしゃれと呼ばれる人たちは、2つの方向にわかれました。
1つは、情報としてどんどん消費し、次のシーズンはもう持たないという方向のもの、
そして、もう1つは、情報として消費されないように、少数しか生産されていないもの、誰もが知らないものを探して持つものです。
前者は主にファッション・スナップで撮られるようなファッション業界の関係者、
後者は、ファッション業界とは関係のない、ごく一般のおしゃれな人たちです。

ファッション業界の関係者でもない限り、情報としてどんどん消費し、
それに追いついていく必要など、ありません。
ですから、私たちが選ぶべきは、後者のほうになります。

「アクセサリー」は、その人のオリジナリティを表現するために用いるものです。
形、色、シンボルなど、総動員して、その人を表現するものでなければなりません。
それが、電車に乗ったら同じものをみんなしていた、では困るのです。

それぞれが違う個性の持ち主ですから、
方程式はありません。
それぞれが、それぞれに考えて、組み立てていくものです。
そこにたどりつくのは簡単ではないかもしれません。

また、それは自分を見つける作業に似ています。
なぜならそれは、一つずつ、あなたが周囲によってなされた「記号化されたあなた」から、
抜け出す行為だからです。
周囲によってはられたラベルを一枚ずつはがし、
新たに自分は何者かを見つけていく、その道程と同じです。
あなたを不自由にしていた不必要なラベルをはがし、そして本当の自分へと近づいていきます。
それは、自分だけのオリジナルなアクセサリーを集めていく作業と同じです。

アクセサリーの語源は「共犯者」です。
どうせ選ぶなら、あなたを消費尽くして消耗させない、
協力的な共犯者を選びましょう。
誰も知らないその共犯者は、
どこかできっとあなたに出会うのを待っているはずです。
こちらが探しに出かければ、必ず出会えます。
それはきっと、素敵な共犯者に違いありません。