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2017年9月19日火曜日

21世紀のチープシック

おしゃれである、ファッショナブルであるということのほとんどはお金で解決できます。
お金をかけて、最新流行のものを買いそろえば、
誰でもそれなりにおしゃれに見えます。
それは疑いようのない事実です。
また、多くの人が、金額が高いか、安いかにかかわらず、
お金で新しいものを次々と買いかえていくという方法で、
おしゃれであることを獲得しています。

高いものを買い続ける人の中には、それこそ年間何百万円も使う方もいらっしゃいます。
では、高くはないもの、例えばファストファッションを買う方は、
金額的に少ないのでしょうか。
これは私の観察結果なのですが、
ファストファッションで常に新しいものを買いかえていく方々もまた、
年間を通しては、その収入のうちのかなりの部分を使います。
金額が高かろうが、安かろうが、
新しいものを常にどんどん買いかえていくという方法でおしゃれになろうというやり方は、
相当な金額を要するのです。
安いものを買っているから、そこから逃れられるというわけではありません。

一方、新しいものを次々と買いかえることなく、
他人におしゃれであるという印象を与えることは可能です。
3色ルールと色、またはシンボルのリレーションができるようにワードローブをそろえておく、
季節を先取りする、
はずしのテクニックを取り入れるなど、
工夫と技術を駆使することで、新しいものを次々買いかえておしゃれを獲得していく方法と同等、
またはそれ以上の効果を得られます。

さて、21世紀のチープシックです。
私たちはそろそろこのテーマについて考えなくてはなりません。
なぜなら、私たちはお金で解決するのが難しくなるであろう時代の
すぐ手前までやってきているからです。

これ以降は、これからも新しいものを次々と買いかえお金でおしゃれを解決していく手法を採用する方々には関係のない内容ですので、お読みにならなくて結構です。

チープシックは、いわば貴族のライフスタイルです。
貴族は、土地や家柄はあったとしても、動かせる現金が豊富ではありません。
また、受け継いだのは土地や家柄だけではなく、品格や趣味のよさ、
教養などもまた、彼らの見えない形の財産です。
ですから、動かせる現金がないからといって、決して趣味の悪い、みすぼらしい格好をするわけにはいきません。
趣味よく、上品に、決して成金趣味に陥らず、おしゃれに見える方法、
それがチープシックと言えるでしょう。
では、そのチープシックを実践するためにはどうしたらいいでしょうか。

3色ルールやリレーションを作るなど、そんなことは当たり前です。
いいものを買って長もちさせる。そんなことも常識です。
そのほかにできることは何でしょうか?

自分で作る、
古いものをリメイクして生き返らせる、
新たに刺繍を施す、
家族のあいだで1つのバッグをシェアする、
着ないものを交換する、
親の代から引き継がれたジュエリーを身につけるなどなどの方法が考えられます。
これらは物理的な問題に対する解決方法です。

実はそのほかにも心理的な問題があります。
おしゃれに見えるかどうかは、他人にどのように心理的な影響を与えるかの問題なので、
チープシックを実践するためには、この心理的な問題をおさえておく必要があります。
その心理的な側面への解決方法は何かというと、
「見せびらかし」をやめることです。

貴族や、または本当のお金持ちは、
ぱっと見てすぐどこそこのブランドとわかるロゴやマークの入っているものは、
極力持たないと言われています。
もちろんデザインが気に入って、またはデザイナーをリスペクトして買う、
所有するという場合もあるでしょうから、
絶対に買わない、持たないというわけではありません。
しかしそれを持ったとしても、決して見せびらかすということはしません。
なぜか。
見せびらかしは、そのものの情報としての寿命を短くするからです。
それは人々に記憶され、消費されていきます。

例えばインスタグラムに買った服やバッグを次々とアップする人を観察してみてください。
彼らは以前アップしたものを何度もアップするということはしません。
せいぜい2、3回程度です。
それは彼らが、常にインスタグラムという媒体でそのものの情報を人目にさらすことによって、
その情報の鮮度が落ちる、または飽きをもたらすということ、
つまり、おしゃれに見えなくなるということをよく理解しているからです。

本当の貴族やお金持ちは、そんな見せびらかし競争には決して参加しません。
そんなことをしたら、大事な、長もちさせたいバッグの
おしゃれ寿命が簡単に尽きてしまうと知っているからです。

21世紀のチープシックは、
インターネット以前の時代よりも、
より一層このことに留意しなくてはなりません。

新しいものをどんどん買いかえて、お金を使っておしゃれであることを獲得していく方々は、
今後も見せびらかしを続けるでしょう。
それも1つのおしゃれの方法です。

けれどもそうではない、お金で解決しない方法を選ぶ方々は、
この過度な露出による「見せびらかし」に注意しましょう。
それはあなたというテキストを情報として消費させます。
その結果、あなたはいとも簡単におしゃれに見えなくなってしまいます。

私たちは、他人に残す印象をみずからコントロールできれば、
見せびらかすことなどしなくても、
いつでもおしゃれな存在でいられます。
その能力は訓練によって、後天的に得ることが可能です。
そして、それができるようになったということは、
私たちがそのお金では買えない能力を身に付けたということ。
多くの人がうらやむのは、そのお金では買えない能力です。


2017年9月7日木曜日

『わたし史上最高のおしゃれになる!』はじめに公開




はじめに

 毎日、ご飯を食べるように、私たちは毎日、服を着ます。それこそ、生まれてから死ぬまで、何も衣服をまとわないで過ごす日など、ありません。女でも、男でも、若くても、若くなくても、何かを着ることは社会で生きる人間の宿命です。

 毎日のご飯を自分で用意するように、毎日の衣服について私たちは考えます。ご飯であったならば、少しでもおいしくなるように、必要な栄養が摂れるように、そして心が満たされるようにしようと。同じように衣服についても考えます。暑さ寒さをしのげるように、雨や風から身体を守るように、少しおしゃれに見えるように、1日気分よく、心が満たされて過ごせるようにと。けれども、現実はどうでしょうか。

毎朝、何を着たらいいかわからない。タンスの中は服でいっぱいなのに、何を着てもおしゃれに見えるような気がしない。適当にあるものを着て出かけてはみたものの、何やら気分は優れず、自分以外のおしゃれな人を見るたびに少し落ち込み、明日になったら、また同じことの繰り返し。

どうしたらおしゃれに見えるかわからないから、適当に、そのときの気分で、あるいは今これが流行っているからという理由で、「必要」という言葉で自分を納得させ、もう何十回目の一目ぼれで恋に落ちたことにして、服やバッグや靴を買って家へ連れて帰る。お財布は軽くなるのに、タンスのこやしはふえていき、それでもなぜだかおしゃれには見えない。

そんなことを続けている間に、ワードローブはどんどんふえ続け、ほとんど着ていない、けれども傷んでいないから捨てられないものばかりが半分以上、もしくは7割を超えるようになり、そんな現実は見なかったこと、知らなかったことにしようと、タンスの戸を閉めてはみたものの、妙な罪悪感と、それでもおしゃれに見えない焦燥感で、毎日ゆううつな気分を抱えながら、また適当にそこら辺にあるものを、手っ取り早くかき集め、服を着て家を出る。

全部捨てればいいというアドバイスを聞いて、とりあえず何でも捨ててはみたものの、やっぱり明日何を着ていいかわからないという問題は解決せず、それでも同じような買い物の仕方、つまり報われない一目惚れを繰り返し、もうこんな思いはこりごり、金輪際ごめんだわと、さんざん反省したにもかかわらず、1年後にはまた同じ状態で、使ったお金のことは考えないことにして、家計簿はつけないわと開き直り、新しいファッション雑誌を買ってみて、そして次の年になり、新しい季節がめぐってきて、確かに年は一つ取ったけれども、何も成長していない自分に元通り。

こんな感じの方が多いのではないでしょうか。
 
おいしいご飯を毎日、自分で作りたかったならばどうするでしょうか。おいしいご飯を毎日、自分で何とかしいのならば、料理の本を買って勉強をしたり、料理教室に行って習うでしょう。食材についての知識をふやし、毎日の献立を考え、賢くお買い物し、エンゲル係数に注意して、気分よく、毎日暮らせるようにするでしょう。食べ物は生きることの基本ですから、それができるようになれば、気持ちは安定し、どんなに嫌なことがあっても、不安な状況に陥っても、何とか乗り越えられる自分になれるでしょう。

おしゃれだって同じです。おしゃれになりたいのならば、勉強すればいいのです。 
 しかし、多くの人が今まで一度もおしゃれについて勉強したことなどないと言います。まず第一に、「おしゃれについての勉強」などという概念がありません。おしゃれとはセンスのいい人が適当に何かを身につければなるもの、あるいは、手っ取り早くそのシーズンのものをひと揃え買ってくればすむものと多くの人が考えています。つまりそれは、先天的な才能の問題、もしくはお金があるかないかという経済の問題として片付けられます。

なぜでしょうか。答えは簡単です。おしゃれの基本についてやワードローブの構築方法についての詳しく書いてある教科書など売っていないからです。似合う色や似合うスタイルについて教えてくれる人や、お買い物に付き添って何を買ったらいいか指示してくれる人はたくさんいるけれども、ワードローブをどうやって揃えていったらいいか、何が自分には足りないか、どうやって考えたらいいか、教えてくれる人はいなかったからです。

ファッション雑誌は最新流行と情報は教えてくれるけれども、賢いワードローブ構築の方法を教えてくれるためのものではありません。ファッション雑誌は一種の娯楽のための読みものであって、おしゃれの教科書ではないのです。

 多くの人が一度もおしゃれについて学んだことのないまま、毎日、服を着て、毎シーズン、服を買います。考えてもわからないので、わからないそのままに、生まれてから今まで着るものに悩まされ続けています。お金と時間をかけて、エネルギーを注いで、それでも全く解決しないまま、長年やり過ごしてきました。半ばもうあきらめの境地で、こんなものだと思いながら。

 解決方法は一つしかありません。おしゃれについて勉強することです。お料理の基礎を習ったように、おしゃれの基礎を勉強すればいいのです。何とかしたいと思うのならば、このままでは嫌だと願うのならば、勉強して、今の状態を脱しましょう。

私たちは何も毎日、三ツ星レストランで出されるような高級な料理を食べたいわけではありません。毎日、簡単に作ることができ、ささやかな、けれども栄養満点の、そして安心で満足できる、そんなご飯を食べたいのです。

衣服についても同じです。私たちは何も毎日、パリ・コレクションのランウェイで発表されるような最新のモードの服で、家の玄関から世界という舞台に颯爽と登場したいわけではありません。ハリウッド・セレブのように、ハイブランドの服に身を包み、大きなサングラスをかけて、10センチのピンヒールをはいて、写真に撮られるための衣装で、毎日過ごしたいわけではありませんし、そんな必要はありません。

 私たちの望みは、着る服が少しでもおしゃれに見えるようになること、そしてたくさんのお金を使うことなく、毎日、短時間でコーディネートできて、無駄のない、シンプルなワードローブを持つことではないでしょうか。毎朝、悩まずにすむような、ほんのちょっと工夫しただけでおしゃれに見えるような、そんなワードローブが欲しいのではないでしょうか。

 「すべてこの世は舞台。私たちは単なる役者にすぎない」と、シェイクスピアは『お気に召すまま』の中で役者に語らせています。確かに私たちは単なる役者にすぎません。けれども、この世は舞台であり、私たちはその舞台の主人公です。主人公とは、自分で自分に対して自分がどうしたいのか問いかけ、自分で決定し、目的に向かって行動する存在です。つまり私たちは自分という人生のドラマの主人公を演じる役者であるだけではなく、自分の人生の脚本家であり演出家、そして衣装デザイナーでもあるのです。

 残念ながら、太陽という照明をコントロールことはできませんから、照明デザイナーにはなれません。また、雨の音や風の音、カフェで聞こえてくる音楽を自分で決定することはできませんから、音響も自分で決められません。けれども、衣装は自分で決めることができます。毎朝、主人公である自分のために、衣装を用意することができます。要するに、私たちには、自分の人生という舞台の衣装を自分で決める自由と権利があるのです。

 確かに観客である他人はとやかく言うでしょう。あなたにはそれが似合う、あなたにはそれが似合わない、それは今の流行だ、流行遅れだ、などなど。けれども、実際の舞台がそうであるように、観客の意見は百人いたら、百人違います。全員同じなどということはあり得ません。それなのに、もし私たちが観客一人一人の意見を取り入れようとしたなら、演出家の意図はどこかに消え、舞台はめちゃくちゃになってしまうことでしょう。

 主人公の自由と権利より、他人の意見を常に重視したら、自分の人生もまためちゃくちゃになります。いつでも誰かの意見に従う人生は、もはやその人のものではありません。

他人の意見がすべて同じにはなり得ないのですから、観客全員からよい評価をもらおうと努力をしてみたところで、観客全員が同じように、その衣装がよかったと思うことなど決してありません。すべての人の意見を取り入れることなど、しょせん不可能なのです。みんなによく思われたいなどということは、むしろ傲慢です。

 私たちは主人公を演じる役者であると同時に、自分の人生の舞台の演出家です。演出家は客席の一番後ろに座り、観客よりも、より客観的な視点ですべてを把握しなければなりません。私たちがやるべきなのは、他人の意見に振り回されることではなく、観客よりも、より客観的な視点を常に持ち続けることです。

 いつも誰かの意見に振り回される脇役人生はもう卒業しましょう。自分の人生の脚本を自分で書き、自分で主人公になり、衣装を決めて、自分の才能を100パーセント発揮し、能動的に行動する主人公を演じる自分になりましょう。それこそがあなたの生きる使命です。それだけが人生で最も大切なことです。それ以外にはありません。

 おしゃれは人生で最も大切なことではありません。私たちの時間も、お金も、エネルギーも、人生でもっと重要なことに使うべきです。おしゃれなどというものは、主人公の人生がうまくゆくためにあるものであって、それ自体が人生の目的ではないのです。毎日の服のコーディネートに悩んだり、大量に買ってしまった服を前に途方に暮れている時間はあまりにもったいない。そんな楽屋仕事に時間とお金を使っている場合ではありません。人生にはもっとほかにやることがたくさんあります。情熱をかけるべき対象が、すべての人にあるはずです。

 自分の人生の主人公の座を取り返すためにも、効率的なワードローブの構築方法について学びましょう。批判的な観客の意見に右往左往しているだけの、凡庸で、ありふれた、誰も覚えていないような、魅力のない主人公が登場する物語は、ここで終わりにしてしまいましょう。そうして、毎日、衣装のことで煩わされなくなったら、堂々と自分の人生という舞台の中央に立ちましょう。

 どんな主人公にも、太陽の光という照明は平等に降り注ぎます。立ったその場所が、あなたという人生の舞台の中心です。街ですれ違う人、仕事場で隣に座る人、それだけではなく、テレビや雑誌で取り上げられるお金持ちで有名な人でさえ、すべてあなたにとっては脇役や端役です。脇役や端役のことなど、気にすることはありません。

主人公には達成すべき人生の目的があります。その目的は人それぞれです。何かを成し遂げるのが目的の人もいれば、まわりの人とともに幸せでいることが目的である人もいるでしょう。人生の目的を他人と比べることはできません。人生の目的が違ってくれば、当然のことながら、必要な衣装も違います。

同様に、自分がどれだけおしゃれかを他人と比べる必要はありません。ファッション競争は、しょせんお金のある人の勝ちです。シーズンの最初にハイブランドの最新スタイルを靴やバッグも含めて上から下まで揃えれば、それだけでおしゃれに見えます。それは疑いようのない事実です。ですからこのファッション競争に参加したのならば、勝つのは世界のお金持ちだけ。けれども、そんなファッション競争に参加して勝つことなど、多くの人にとって重要ではないはずです。

重要なのは、自分が自分の人生の主人公になること、そしてそのために日々、成長することではないでしょうか。

私たちが目指すべきなのはいつも、「わたし史上最高のおしゃれになる」こと。そして、その史上最高を更新し続けること。おしゃれをしたことにより、何かがうまくいったり、幸せを感じられたりすることのほうが、お金をかけてファッション競争に参加するよりもよほど大事なはず。脇役や端役のおしゃれなど、どうでもいいこと。自分の人生の中で今どれだけ進化したか、どれだけ努力しておしゃれができるようになったか、そしてその結果、どれだけ人生の目的に近付けたか、私たちが考えなくてはならないのは、そして死ぬ間際に思い出すのは、きっとそのことです。

そんな人生の主人公である私たちに必要なのは、自分の人生の目的を達成するための、主人公のためのワードローブです。人生の目的達成のためにすべてのエネルギーを注げるような、そんなワードローブを構築するために、今から学びましょう。今からでも遅くはありません。必要なのは、ただ決意することです。他人の意見を聞いて右往左往する脇役人生をやめ、これからは主人公として生きていくのだと決意すること、ただそれだけです。

さてこれからご紹介するメソッドは私が自分のために考案し、自分自身で長年実践してきた方法です。中学から大学まで演劇部だった私は、脚本を読み、キャラクターを分析してから衣装について考えるということを続けてきました。このやり方は、別にお芝居の中だけではなく、私たちの日常生活のワードローブ構築にも通用します。
また、2010年以降から現在まで、私はこの自分で考えたメソッドのレッスン、ワークショップなどを開催し、今までに多くの方にこの方法を伝え、実践してもらってきました。このメソッドは誰にでもできると実証済みです。

お金がなくても、絶望の中にいても、病気であっても、パリに住んでいなくても、若くなくても、きれいでなくても、ヘテロセクシャルでなくても、どんな人もこの方法を実践すれば、おしゃれなワードローブを構築することができます。
では、これからおしゃれな主人公になる方法を学んでいきましょう。

詳しくは『わたし史上最高のおしゃれになる!』をご参照くださいませ。アマゾンさんはこちら
または全国各書店でどうぞ!



2017年8月30日水曜日

赤を着よう

(Diorのレッドドレス)

色にも流行があります。
まず国際的な機関であるインターカラ―が発信する色を取りきめ、
プロモスティルなどの情報発信会社がトレンドブックを発売、
それらの情報を収集して、ファブリックメーカーが生地を作ります。
そのため同時期の生地の展示会に同じ色の生地が並び、
これら生地を使って各種メゾンが服という形にするため、
その年に多く使われる色というものが出現するという仕組みです。
ファッションの歴史を振り返ってみればわかるように、
60年代には60年代の、70年代には70年代の色調があります。
同じ赤といっても、60年代のような赤と、70年代の赤とではまた違っています。
ですから、「赤」と大きくひとくくりしても、今買う赤は、やはり70年代の赤とは違うのです。

赤い服はいつの時代でも作られています。
紺、白、赤というトリコロールの並びや、
トラッドの茶に合わせる赤いツインセットなど、
商品のラインアップから完全に赤が消えたシーズンというものは過去にないでしょう。
けれども、赤い服を多くの人が着ていたという印象はあまりないと思います。
なぜなら、赤い服はいつも作られてはいるけれども、売れ残るからです。
なぜ赤はいつも売れ残るのでしょうか。

多くの人が「使える色」や「人気の色」を探しています。
「使える色」とはどういう場面で何のために使うのかはっきりしませんが、
汎用性が高いというぐらいの意味でしょう。
また、人気の色とは、多くの人が選ぶ色ということでしょう。
目的は不明ではあるが汎用性が高く、多くの人が望む色こそが、
多くの人が探している色です。
赤が売れ残るということは、つまり赤は汎用性が高くなく、
何より人気がないからでしょう。

汎用性が高く、多くの人が持つということは、
いつでもどこでもそれは散見できる、つまりありふれているということです。
どんな場面でも、多くの人が着たり、持ったりするのですから、それは街にあふれます。
多くの人は、ありふれていることを望んでいます。

ありふれているものを望む人たちは、
目立つことを嫌がります。
確かに赤は目立つ色です。
男性の中のただ一人の女性を紅一点と言うように、赤はひときわ目立つのです。

汎用性が高く、人気がある色とは、
決してその人が好きな色ということではありません。
また、自分もしくは誰かがその人に似合うと思っている、その色でもありません。

ありふれていて、好きでも似合うというわけでもないその色を選ぶ人たちは、
目立たなく、多くの人と同じことを望みます。
逸脱しないように、街に溶け込むように。

しかし同時にこの人たちは、
選ばれることを熱望するのです。
多くの少女マンガに見られるあのパターン。
いつでもひょんなことが起こり、
カッコいい男子に見染められ、
自分の意思に反して物語が進行する、あの使い古されたパターンのように、
誰かから選ばれて、運命が開けていくことを切望するのです。
けれども、多くの、このありふれた色を望む人たちには、
そんなことは現実に起きなかったでしょう。

自分が好きでも似合うわけでもない、ありふれた色を選び続けた
その人たちの衣装というテキストは、その人が代替可能な人物であると、多くの人に知らせたのです。
ひょんなことなんて起こりません。
カッコいい男子も王子様もやってきません。
運命の扉が自動ドアのように勝手には開くこともありません。

さて、ではそうではない者、
自分が何が好きかわかっていて、
他人の嗜好を知るための人気ランキングなど完全無視し、
自分の意思で選択し、その責任を取る、そんな人が赤が好きなら、
迷わず赤い服を着ましょう。
赤は情熱の色、行動の色です。
ハートはいつも赤い色で表現されます。
赤はLOVEの象徴です。

自分であることを包み隠さず、凛とした姿で自分の人生を歩いていく、
そんなあなたに赤はうってつけです。
そういう人の中に人々は美を見出し、引きつけられます。
運命の女神フォルトゥーナはほほ笑み、
あなたは選ばれます。
多くの中から選ばれるその理由は、まさにあなたが代替不能だからです。
赤が好きな人は赤を着ましょう。
赤いドレスでも、赤いコートでも、赤いセーターでも、赤いブーツでも、赤いバッグでも、何でも構いません。
赤を選びましょう。
そして、その勇気を持って、自分の未来を自分で切り開いていきましょう。


2017年8月17日木曜日

買っても買っても満足できないあなたへ

いつでもあなたは探していました。
どこへでも連れていってくれる靴を。
誰もが認めるバッグを。
幸せになるドレスを。

あなたはその人の言葉を信じていました。
その靴はどこへでも連れていってくれると。
そのバッグを持てば、誰からも認められると。
そのドレスさえ着れば、幸せになれると。

そうしてあなたは買いました。
その靴を履いてどこへでも好きなところへ行けるだろうと。
そのバッグを持てば、誰からも称賛されるだろうと。
そのドレスを着れば、幸せになるだろうと。

そう信じているにもかかわらず、
あなたはまた落ち込むのです。
昼間あんなに輝いて見えた靴も、
夜、自分の部屋へ戻って、蛍光灯の下で見たときは、
もう既に魔法が解けて、何の変哲もない普通の靴になっています。

きっとこれは何かの間違いだと、
どこかで自分が勘違いしたのだと、
あなたは自分を責めます。
なぜなら、あの人の言うことは正しいのだから、
間違うはずは、ないのだから。

けれども、余りにもそんなことが続くと、
次は、信じるその人をかえてみます。
付き合った恋人が悪かったため、自分が不幸せになった、
あのときと同じように、
信じる相手をかえれば、何もかもうまくいくと考えます。
こんどこそきっとうまくいくと。
次は絶対に失敗しないと。

しかし、何枚買っても、何足買っても、一向に欲しいものは得られません。
気分の上昇は、同じだけの落ち込みをもたらします。
何度もそれを繰り返すうちに、もはやそこには何の喜びも感じられません。
ひどい落ち込みと罪悪感と、頭の中の止まらない自分を責める声。

そのうちに思い出すのです。
小さいころ、あなたがお気に入りのドレスを着て踊っていたとき、
お母さんがあなたに向けた冷たい視線を。
または、「お姉ちゃんはかわいいのに、あなたはかわいくないね」と言った、
あの言葉を。
そしてそれを聞いたお父さんは、何も言ってくれなかったことを。
お父さんが、かわいいねと、言ってくれなかったあのときのことを。

もう自分ではわかりません。
何を着たら、お父さんがかわいいと言ってくれるか、全くわかりません。
そして、ずっとわからないまま、あなたは大人になりました。

だからそれを教えてくれるあの人を信じたのです。
あの人がお勧めする、そのドレスさえ着れば、幸せになれると信じたのです。
けれども、その試みは失敗しました。
得られたのは見たくもない請求書とレシート。
そして、終わらない悪夢。

買ったたくさんの靴とバッグとドレスを見ても、
あなたは何も感じません。
どうしていいかもわかりません。
そしてあなたは途方に暮れました。
まるで、氷の道の上に立っているようです。
どこまでも続く、暗く、冷たく、かたい道を歩くような毎日。

あなたが本当に欲しかったのは靴でも、バッグでも、ドレスでもありませんでした。
あなたが本当に欲しかったのは、
お父さんに「かわいいね」って言われることでした。
あなたがどんな靴を履いていても、どんなバッグを持っていても、どんなドレスを着ていても、
それでもかわいいねと言ってくれる、お父さんの言葉でした。

あなたの本当のお父さんはそう言ってくれなかったので、
あなたは、そのドレスさえ着れば、誰かがそう言ってくれると信じたのです。
だけれども、そんな人はそう簡単にあらわれないのでした。
買っても買っても、そんな人はあらわれませんでした。
そうしてあなたは今日も、その渇望感で死にそうです。
どうしたらいいのでしょうか?
何かいい方法は、あるのでしょうか?

誰も言ってくれないのならば、あなたがあなたに言えばいいのです。
大人のあなたが小さなあなたに、
どんな靴を履いていても、どんなバッグを持っていても、どんなドレスを着ていても、
あなたはいつでもかわいいと、言ってあげればいい。
かけっこが遅くても、成績が悪くても、
あなたはいつでもかわいいと言ってあげればいい。
泣いていても、笑っていても、怒っていても、いつでもかわいいって、
自分で自分に言ってあげればいいのです。

そんなにたくさん買わなくていいのです。
どんな靴でも、どんなバッグでも、どんなドレスでもいいのです。
だってあなたはかわいいから。
誰も認めてくれなくったって(本当はそんなことありませんが)、
あなたは十分にかわいいから。
それは誰とも比べられないから。
そして、それは永遠に続くから。
疑いようもなく、それは真実だから。

※男子はドレスを「シャツ」に、かわいいを「かっこいい」にかえて読んでみてね!

2017年8月7日月曜日

コルセットと細いウエスト

 (Manet, Edouard - Olympia, 1863)

西洋の女性の衣服の歴史を振り返ってみたときに、
外せないのはコルセットの存在です。
特にルネッサンス期以降、スカートのボリュームが大きくなるにつれて、
胸の下からウエストにかけてコルセットと呼ばれる胴着を装着し、
ウエストとヒップの差を強調したシルエットが主流となっていきます。

その後、コルセット着用の流れはナポレオン第一帝政時代、ナポレオンの妻であったジョセフィーヌが着用したことで有名なエンパイアドレスやイギリスのジョージアンスタイルのドレスなど、
一時途切れ、その後、復活しますが、1906年にポール・ポワレがコルセットなしのドレスを発表をもって終了したと言われています。

コルセット着用の理由は、
一人で着用することが難しいことから裕福であることを示すため、
胸とヒップを強調することによる男性へのアピールのため、
そうではなく、女性みずからが好んでウエストを強調するためなどと、
諸説ありますが、はっきりしたことはわかっていないようです。

ポール・ポワレによってストレートなラインのドレスが発表された後、
ウエストの強調、もしくはウエストマークはいったんなくなったかに見えた女性の衣服ですが、
決してそんなことはありませんでした。
現在に至るまで、細いウエストと膨らんだスカートや、
ビスチエと言われる胸から下にかけての胴着など、
胸から下の胸郭からウエストの強調が消えることはありません。

細い胸郭からウエストは何をあらわすのでしょうか。
そのうちの1つは女性らしさです。
胸から腰にかけて、どちらかというと寸胴の男性に比べて、
女性のウエストは、太ってさえいなければ、細いものです。
それは男性にはない特徴として、女性らしさをあらわします。
次に考えられるのは、若さの象徴としてのウエストの細さです。
男性よりはウエストが細い女性と言えども、年をとってくると、
どうしてもウエストの周囲に肉がつき、その細さは失われていきます。
ウエストが細いということは、若い女性の象徴でもあるのです。

細いウエストを持ち、若く、女性らしいということは、
太いウエストの女性よりもよりエロチックです。
確かに西洋の絵画に見られるヴィーナスのウエストは決して細くはありません。
ティッツィア―ノの「ウルビーノのヴィーナス」のウエストも、
ボッティチェッリの「ヴィーナスの誕生」のヴィーナスのウエストも、
ルーベンスの「鏡を見るヴィーナス」に見られるヴィーナスのウエストも、
ふくよかであり、豊穣ではありますが、エロチックではありません。

一方、マネが描いた「オランピア」に見られるウエストの細い裸体の女性はエロチックです。
オランピアは娼婦です。
ヴィーナスには「エロス」という子供がいますが、
オランピアには子供はいないでしょう。
しかし、「エロス」という子供のいないオランピアのほうが、
皮肉なことにエロチックです。
それはその細いウエストゆえです。
それが示すのは未婚であること、そして何よりも恋愛の可能性です。

女性はそのことを無意識のうちに知っているのでしょうか。
コルセットが必要でなくなった現代においても、決して細いウエストを捨てたりはしませんでした。
細いウエストを見せるつけるために女性たちがやるのは、
ウエストにベルトをする、または胸の下から細いウエストまでを見せることです。

まずはベルトについて。
ベルトは通常、スカートまたはパンツがウエストからずり落ちないためにするものですが、
女性の衣服の場合、それとは別の用途で、
つまり、ずり落ちるものなど何もないのに、一種の装飾としてベルトを用います。
ブラウスにも、ワンピースにも、コートにも、ジャケットにも、
太いベルトでも、細いベルトでも、ウエストマークをするためにベルトをします。
このとき女性たちは、コルセットの名残としてベルトを使います。
これは誰にでも取り入れることができる、手っ取り早い女性らしさと若さの表現です。

そしてもっと進んだ形でウエストの細さを強調するのが、
ミドリフ丈のトップスの着用による、胸下からウエストにかけて露出させるスタイルです。
(ミドリフとは横隔膜という意味)
モデルたちがこの部分を露出するスタイルをしているのをよく見かけます。
彼女たちはもはやコルセットなど必要としないのです。
ワークアウトによって手に入れた、コルセットなしの細いウエストを見せることによって
コルセットと同じ効果、すなわち女性らしさ、若さ、そしてエロチックさを彼女たちは見せつけます。
それとなく、涼しげに。

コルセットが消えた現在においても、
女性は決して細いウエストを手放してはいません。
細いウエストに無頓着になるということは、
女らしさと若々しさ、そして恋愛の可能性を捨てたということを意味します。
そんなことは意図していないとしても、
私たちはそう読みとります。

衣装はテキストの一形態です。
それは読みとられ、解釈されます。
女らしさ、若さ、そして恋愛の可能性を表現したいのなら、
ウエストの細さを作ることです。
それはベルトを使っても、ワークアウトで肉体を細くしても、
どちらでも構いません。

それを作ったなら、人々はあなたというテキストを読みとくでしょう。
あなたが女らしく、若々しい存在であると。
そして何よりも、あなたは恋愛の対象者となり得ると。
望むのなら、あなたはそれを意図して、作ることができるでしょう。


2017年7月27日木曜日

バッグと靴の色の選び方『わたし史上最高におしゃれになる!』より抜粋


検索の多いバッグと靴の色の選び方について、
『わたし史上最高のおしゃれになる!』P182ページより該当部分を抜粋します。


バッグと靴の色の選び方

バッグと靴の選び方も、基本的には全体の色を3色以内で構成する3色ルール、そしてリレーションを作ることと同じ考え方です。つまり、靴もバッグも自分が選んだ3色の中のどれか1つの色から選べばいいわけです。例えば、自分が選んだメインカラーがネイビー、赤、白で、サブカラーとして茶色を使うなら、リレーションを作りたい場合は靴とバッグの色を揃えて茶色にしたり、白にしたりすればよいですし、リレーションを作らない場合は、ともかく全体の色が3色以内になるのであれば、靴もバッグも自分が決めた色である、ネイビー、赤、白、茶色、どれを選んでもよいということです。

ただし黒と茶に関しては少し注意が必要です。昔からあるコーディネートの基本的な考え方として、バッグ、靴、ベルトの色は合わせる、というルールがあります。最近はこの考え方がだいぶ崩れてきて、バッグと靴が違う色のスタイリングも多く提案されています。ただし、黒と茶色に関しては、少なくとも靴とバッグは合わせるという考え方が根強く、最新のモードなスタイルを選ばない場合は、靴とバッグを黒なら黒、茶色なら茶色と合わせたほうが無難です。古典的で保守的なスタイルほどこの傾向が強いので、あまり冒険したくない場合は黒と茶に関してはバッグと靴の色を合わせるとよいでしょう。また、黒なら黒で靴、バッグ、ベルト、時計のベルト、アクセサリーまでしっかり揃えてくると、よりクラッシックで、正統な雰囲気を出すことができるので、オフィシャルな度合いが高い場面などでは、統一することをお勧めします。

しかし、これとは逆によりモードっぽい雰囲気を出すには、靴とバッグをわざと違う色にするという手法が最近は多く見られます。特に靴に関しては、黒や茶色など、ありきたりな色ではない色、例えば赤、ピンク、青、黄色、紫、緑などを持ってくるほうがよりおしゃれに見えます。3色ルール以内で、リレーションができるのでしたら、靴とバッグの色を変えて、靴をこういった色にしても問題ありませんので、よりおしゃれに見せたい場合は、そういった色の靴をワードローブに追加してみましょう。いきなり高い靴でこういった色を買うのは勇気が要るので、まずはスニーカーやバレエシューズで試してみるのがお勧めです。

靴とバッグ選びに関しては、注意していただきたい点があります。
多くの方がやってしまうのは、自分のワードローブの色彩計画など考慮せずに、いきなり赤いバッグや、ベージュの靴を買ってしまうというやり方です。例えば、赤いバッグに合うコーディネートは何ですかという質問をされる方が大変多いのです。察するに、自分の色彩計画など持たずに、気まぐれで、もしくは誰かにお勧めされたからか、流行っているとかの理由で、いきなり赤いバッグを買ってしまったようです。

自分で色彩計画を立てて、サブカラーとして赤を選んでいるのなら、赤いバッグだろうが、赤い靴だろうが、赤いコートだろうが、合わせるのは可能ですし、簡単です。けれども、自分が集めている色の中に赤がない場合、もしくは、何か色を集めるという考えさえなく、ただ思いつきで漫然と、その時々の気分で好きな色を好きなだけ買っている場合は、それが赤だろうが、黄色だろうが、どんな色合わせも難しくなるでしょう。

これはお料理にたとえて言うと、こんな感じです。自分がリンゴのタルトを食べたいとして、リンゴのタルトを作ることが目的だとしたら、必要な材料はリンゴ、砂糖、小麦粉、バターとなります。そしてリンゴのタルトに必要なものを買いに行きます。それなのに、ただ単においしそうだから、今日は安かったから、誰かに勧めたからという理由でキウイを買ってきたとするならば、今度はそのキウイが最もおいしく食べられるお菓子のための材料を、新たに用意しなければならないのです。

洋服についても同じです。まず何を作るかを考えてから食材を用意するのと同じように、まず全体のイメージがあって、その上でアイテムを集めていかなければ、望むような結果は得られません。何だかよさそうだから、流行っているから、勧められたからという理由で、自分の望むイメージと全く関係のないものを入れようとしても、それではうまくいきません。うまくいかせるためには、すべて一から揃え直す必要が出てきます。

自分は赤でリレーションを作る、それでコーディネートを完成させるのだという目的があるのなら、それに合った赤いバッグなり、赤い靴なりを付け足せばよいのです。いつでも最終のイメージの完成ために何かを付け足すようにしてください。

また同様に、何にでも似合う、合わせやすいバッグの色は何ですかという質問もよくいただきます。これも、自分が決めた色の中だったら、何を持ってきても構いませんが、行き当たりばったりで服も靴もバッグも買っているのだったら、そんな色はありません。ただ無難にまとめたいのなら、黒でリレーションを作ると決めて、黒で靴もバッグもベルトも揃えておくとよいでしょう。黒でしたら、靴にしても、バッグにしても、ほとんどの型や大きさのものがいつでも売られていますので、探すのも、集めるのも簡単です。

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2017年7月20日木曜日

秩序

西洋の美の伝統を振り返ってみれば、
特に自然に対するその態度の中には必ず秩序(ORDER)
つまりコントロールされることによってなされた様式美や法則性が見てとれます。

自然と美という点でわかりやすいのは芸術としての庭園です。
特にルネッサンス期以降、このコントロールされた様式美は顕著で、
アンドレ・ル・ノートルの設計したパリのテュイルリー庭園や、ヴェルサイユの庭園といった、
フランス式庭園にそれを見ることができます。
自然界に存在する樹木は幾何学的に刈り取りトピアリーにされ、
そのトピアリーを正確に左右対称に配置されたそこには、
自然の姿を見ることはできません。

一方、ラーンスロット・ケイパビリティ・ブラウン設計の
チャッツワ―スやブレナムパレスなどに代表されるイギリスの風景式庭園は、
見た目こそ自然そのものではありますが、
これもまた、コントロールされた自然であり、
決して自然そのままというわけではありません。
中でもウィルダネス(Wilderness)と呼ばれる風景式庭園の一部分は、
まるで自然の中の荒野のようではあるにもかかわらず、
それとて人間の手で人工的に、自然さを装った、
秩序のある自然です。
それはあたかも、3時間かけて作り上げるナチュラル・メイクのようであり、
西洋の美は、それが自然のように見えるものだとしても、
必ずコントロールされているものである、ということがわかります。

衣服においても、そのことは顕著です。
西洋の衣服の歴史において、特に女性の肉体は自然に属し、
コントロールされるべき存在であり、
コントロールされて、そこに秩序があってこそ、
美を感じさせるものでした。
コルセットはその役割を果たし、
そのほかの部分がいくら自然に乱れて、自由に動き、膨張していったとしても、
肋骨を含む胸郭をコルセットを使うことによってコントロールされている、
その姿勢に西洋の人々は美を感じていたのです。

この美意識は、現在の衣服の中にもまだ残っています。
全体の配色を3色以内にする3色ルールも、
色またはシンボルや形状を2か所以上配置し関係性を作る方法も、
上下を同じ色、同じ素材で作り上げるスーツも、
その秩序の1種類です。
思いつきや自然のままではない、意図されたことを取り入れることによって、
美を作りだすのです。
それは人によって考案され、試され、作られた美です。
それは自然ありのままではない。
よって、意図しないことには生まれないものです。

流行によりシルエットが変遷し、
今まで考えられなかったような小ささ、あるいは大きさ、
装飾過多、もしくは無装飾の状態になったとしても、そこに美しさが顕現するのは、
必ずどこかしらこのコントロールされた様式や法則性があるからです。
それが全くなくなると、それは単なる不格好な、意味をなさないものとなり、
それを私たちはファッションではないと感じます。

私たちが装うとき、何かしらおかしい、または何かしら物足りないと感じるならば、
どこかにこのコントロールされた、すなわち秩序を取り入れるとよいでしょう。
使う色を3色以内にとどめ、どこかに関係性を作って、
それでもまだ何か足りないと思えるのなら、
もう1つコントロールされたものを入れればよいのです。

コントロールされるのは何も服そのものだけではありません。
モダンな装いが取り入れたのは、コントロールされた肉体です。
シェイプアップとは、まさにそのことで、
単に痩せていることを指すのではありません。
あくまでも全体のバランスに美があるかどうかが重要で、
実際の体重の多寡よりも、その均整が大事なのです。

しかし、痩せていなくても、コントロールされることは可能です。
痩せていないのならば、装いの中に秩序をしっかりと組み込み、
コントロールされた部分を意図的に作れば、それはそれで意味のあることです。
そのためにはいくつかの方法があります。
それだけで形がはっきりとあるような、立体的で優れたパターンのジャケットやコートを着ることも、
ヒールの靴を履くことも、
固い襟やカフスも、すべて自然の形態そのままではないのですから秩序です。
例えばジャケットやコート、またはドレスの上からする
ズボンがずり落ちないようにする目的ではなく使われるベルトは、
誰でも簡単に手っ取り早くコントロールされた部分を作る方法です。
痩せていないのなら、これらを取り入れて、
自然な肉体がそのまま露見してしまわないようにすればよいでしょう。

もちろん太っていないということは、
肉体がコントロールされているということですから、非常に価値があります。
しかし、それが不可能ならば、
美を作りだすために必要なのは痩せて見せることではなく、
どこかしらコントロールされた部分を取り入れることです。
そうすれば、そこに西洋の美を作りだすことができます。

自己否定から美は生まれません。
美はコントロールすることにより生まれます。
自然のままではいけないのです。
おしゃれとは、そのことを知って自分でコントロールすることです。
コントロールされる存在ではなく、
みずから意図的にコントロールする存在になること、
それが最も重要です。
なぜならそれは、コントロールされた精神の持ち主であることの証だからです。